日曜日にやることがなかったので房総へ乗り鉄テッチャン。
総武線で千葉に出る手もあるけど、東京駅から特急わかしをで外房へ出るのが早い。
東京駅八重洲口の銀の鈴がこんなになったとは知らなかった。
もっと殺風景な所だったのだが、いまでは見違えるようにお洒落な商店街の中にある。
東京駅の駅中は、、、デパート以上だし空港ターミナル以上にお土産物屋さんからレストランまでデズニーランド化しています。
新宿駅も渋谷駅も池袋駅も品川駅も足下に及びません。
東京いちの観光地じゃないか?
とても可愛らしくてお洒落なドロップ缶。
小さくていいでしょー。
食いしん坊が見つけたのは角煮やさん。
こんな手があったんだ~~~。
角煮に煮卵の弁当です。
さっそくゲットして特急列車の中で食べましょう。
量があるのでいっぺんには食べきれません。
帰って翌日に食べます。
じゃーん
お洒落できれいなお弁当が、わんさか売っていましたが、私はこの野蛮な角煮弁当が気に入った。
弁当と言うかおにぎりにお惣菜の角煮を組み合わせただけですが、、、。
目的地は外房の大原。
特急だと東京駅から1時間だった。
目的は、いすみ鉄道が台湾の平渓線と提携して〇十年で、車両に平渓線のランタンを飾っているからと聞いたので見に来たのです。
ところが、いすみ鉄道は第三セクターで金がなく、車両故障や整備なのでランタンを飾った列車が運休していた。
がーーーん!
そんなこと、ホームページにでも書いてくれよーーー。
と文句を言っても第三セクターなので、古い車両を使っているから壊れるし、少人数で運営して身動きできないのだな。
パイナップルケーキでも買おうと思ったが、それは東京のコンビニでも売っているし、、、。
残念無念でルート変更して房総半島1周に切り替えた。
最初はいすみ鉄道で大原から上総中野にでて、小湊鉄道で五井駅(市原市)に戻ろうかと計画していた。
予定は予定なのですぐに計画変更です。
20分後の木更津行に飛び乗った。
このあたりが乗客が一番少ないのか、2両編成です。
内房線で館山に出ると乗客が断然増えて若い学生さんばかりになった。
合宿帰りなのか大きなザックを背負っている。
話を聞いていると、、、登山部のようだ。
房総のどこで練習しているのかな?
そうかー鋸山があるからロッククライミングの練習でもしていたのかな??
学生時代に映像のアルバイトをしていた時、「緑の千葉」という番組を毎週手伝っていて千葉中を走り回っていた。
その時に勝浦で朝市を取材したものです。
前泊して朝早くから16mmフィルムカメラと重たい木の三脚を担いでいました。
いわゆる助手さんで頑張っていた。
今ではアシスタントさんになるのだろう。
朝から晩まで頑張っていたら、学生の分際だったが「おまえ撮ってみろ」と任されたのが仕事の始まりだ。
勝浦の朝市は広くはないけど混雑していました。
まだまだ総武線が担ぎ屋さんがいたころの話です。
早朝の総武線はおばさんの行商列車のようになっていた。
大きな60kgぐらいありそうな荷を担いで東京へ売りに来ていました。
30年ほど前まで新宿でも見かけましたね。
御宿、勝浦、安房小湊、安房鴨川と温泉町(観光地)が続きます。
日蓮上人が生まれた誕生時は安房小湊にあります。
これらの町の中間に上総興津があって、そこに新宿区の臨海宿泊所があった。
中学生のころに全校生徒そこで寝泊まりして、海に親しんでいました。
泳げる中学生は、2つ隣りの安房小湊まで遠泳していました。
5kmはあるだろう。
そうそう、遠泳の際は皆が泳ぐすぐ傍に小舟がついていました。
何かあったらすぐに助けられるように付き添っていました。
その小舟の上で、遠泳のリズムを取るために、太鼓を叩いていました。
太鼓の音に合わせて泳ぐと、ペースが一緒になるのです。
速いものがと遅いものが出たら付き添いが大変でしょ。
それで太鼓の音で皆のペースを合わせていました。
大勢で遠泳するときのノウハウみたいなものかな。
今じゃ、外海(太平洋)の沖合を泳ぐので危険すぎてだめでしょうねーーー。
私は泳げない部類だったので浜から沖に向かって100m行って戻るだけだった。
上総興津駅につく直前に合宿宿舎の跡地が見えました。
正面の石垣が跡地です。
宿舎は新宿の古い学校を分解して、こちらに持ってきて組み立てたもので、昔の学校そのものだった。
移築するほどの価値があるわけじゃなく、昔はその方が安く建てられた。
教室は広い畳になっていました。
中学校を卒業して、大学生のころだったか同級生と夏に泊まりに行きました。
OBは破格の値段で泊めてくれました。
懐かしい思い出です。
外房線・内房線で房総半島一周では、、、ここを見たかったのだ。
全く〇〇十年前と変わっていなかった!
行川アイランドはつぶれちゃったのかな?
看板が薄れて消えかかっている。
「おせんころがし」は恐ろしい名前の崖路です。
昔々、勝浦や安房小湊を結ぶ小道は険しくて、海岸のがけっぷちの小道とだったんでしょう。
小道の通行人が断崖絶壁を落ちたと言います。
その名も「おせんころがし」になりました。
たぶん「おせん」はうら若い女性でしょう!
「おせんちゃんが落ちたよー」て大変だっただろう。
安房小湊まで来ると都会然としてきます。
安房鴨川はもっと大きな町です。
こんな日じゃなかったら、房総半島も1周できなかったから、エカッタエカッタだった。
でも普通列車は時間がかなるな―――。
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