「滝壺ビオトープの」の「ミズムシ」(フナムシの淡
水版のような生物)が水の中を動くのを見ていたら、
カンブリア紀の「アノマロカリス」を思い出してしまっ
た。
「アノマロカリス」は、村上龍司会の「カンブリア宮
殿」という番組があるが(好きな番組でもなんでもな
いが)、そのタイトルの時に登場する海を泳いでいる
生き物。
本編は見たことないが、何故かあの「アノマロカリス」
の姿だけは印象に残る。
ところで昨日の「NHKスペシャル」では、宇宙飛行士の
選抜試験を取り上げていた。
900人中10人に絞り、その10人の中から二人選ぶ最後の
試験の模様を追ったものだ。
十人に選ばれるだけでも、競争率九十倍を勝ち抜いた
わけだから大変なことで、それだけでも充分なのでは
と、関係ない人間からすると思えるのだが、試験を受
けている人たちにとっては、どうしても実現したい夢
としてのその重さが違うようだ。
宇宙飛行士になりたいなどという夢は一切無かった身
からすると、その夢を持ち続けること自体が尊敬に値
する。
それと、そのための努力も。
頼まれても(絶対無いことだがそう仮定しての話)や
りたいと思わないが、世の中、こういう人もいるから
面白い。
こういう夢には素直に感服できるが、これが例えば、
将来プロゴルファーになりたいというのものだったり
すると、全くそうならない。
何故かというと、そこには親の欲が透けて見えるから。
プロ野球選手でも同じこと。
要するに、あわよくば大金をという親の欲がそうさせ
ているのが殆どたと思うからだ。
この場合の夢は、大金を得ると同義語だ。
これだって夢には違いないといえばそういうことにな
るが(宝くじで大金というのと同じ)、夢という言葉
にはそうい生々しさを遠ざけるイメージがある。
その点アメリカンドリームははっきりしている。
基本的には、大金をつかむことのみが目標なのだから。
日本で使う夢という言葉は、結局日本的な曖昧さを含
んでいて、日本文化そのものということになるのだと
思うが、もし、美的な意味も含める、所謂ロマン主義
的な意味で夢という言葉を使うなら、宇宙飛行士は正
に日本的夢で、プロゴルファーはアメリカンドリーム
ということになる。
今は、市場原理的夢と言ったほうが良いか。