ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

飲み歩きパック

2009年03月15日 | Weblog


「アーセナル対ブラックバーン」を見ようと思っていた
ら、また途中で寝てしまった。
どうも、駄目だ。
眠りは浅いので、ぱっと覚めると終わっていたの繰り
返しだ。
どうにかならないか。

ガソリンの値段は110円を越え、一時よりはまた上がっ
てきたが、これからグングンあがるということも無いか
ら大丈夫だろう。
それより、ガソリンが高かった時の体験が、省エネモー
ドの定速走行をすっかり定着させた。
これは、結果的にはよかったと言える。
根本的に、全ての物との関係が大きく変わる時代を迎
えている今、生き方そのものが問い直されているので
ある。
と、こんなところでいかがでしょうか。

地元の旅館では、「飲み歩きパック」のようなものを
売り出してるらしい。
所謂、誘客するための企画だ。
地元の造り酒屋(諏訪地方には数多くある)をお猪口
片手に巡るというもので、その試飲代も含めてのパッ
クで、それなりに好評を博している(かどうかは知ら
ない)。
市が企画している「飲み歩き」は結構な人気で、都会
からもそのためにわざわざ来るような状態に今はなっ
ている。
有名どころの「真澄」中心に盛り上がっているらしい。
それとは別の、旅館企画の飲み歩きがそのパックだが、
何故知ったかというと、たまたまそのパックで来たと
いうグループに会う機会があったからだ。
東京から来たというそのグループは、雰囲気が地元の
グループとは明らかに違う。
要するに垢抜けているのだ。
それにしてもその垢抜けた雰囲気というのは、一体ど
こから生じるのか。
服装のセンスや身振り、表情、一人一人の差はそれ程
大きくは無いのだが、グループになるとその差の合計
もはっきりと確認できるほどのものとなり、結果、明
らかに違うということになるのか。
それとは別に、地域の特徴的骨格というものも大きい
かもしれない。
なんてことをつい考えてしまうような、昨日の出来事
であった。
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祭りの準備

2009年03月14日 | Weblog


このところ、レンタル半額サービスなので立て続けに
借りているが、ここぞとばかり普段見ないようなもの
を選択するので、当然のことあまり面白いと思うのに
は当らない。
でも、気分はまあ良いか、である。
これも、半額の威力というものだ。

先日の「チェンジリング」は、映画館で観るというこ
とでは同じくイーストウッドの「父親達の星条旗」「硫
黄島からの手紙」以来の久しぶりに出来事だった。
一年に一回行けばいいというくらいの、頻度である。
このペースは、この十何年続いている。
これにも一応理由はある。
田舎で公開されるもので、観たいと思うのは滅多にな
いからだ。
メジャー系と言われるもので唯一観たいのがイースト
ウッドなので、結果こういうことになるのも仕方ない。
かと言って、ゲロゲロ少年Yのように、東京まで行っ
て映画の梯子をするなどという暴挙はとても真似でき
ない。
こういう時、ふと、本当に自分は映画が好きなのかと
疑問になる。
映画に対してうるさいということに関しては、疑問の
余地は無いが、好きなのかと言われると疑問の余地は
あるのである。
突き詰めると、ちょっと自信が無い。
この点では、ゲロゲロ少年Yには完敗。

二日続きの雨の中、いよいよ「御柱祭」の準備が始ま
った。
本番は来年なのだが、すでに準備が始まるのだ。
何せ、六年に一度のお祭りなので(七年に一度といわ
れているが普通に計算すると六年に一度)、準備から
して大掛かり。
祭り好きには嬉しいだろうが、またなにかと騒がしく
なる。
やれやれだ。
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トリップその後

2009年03月13日 | Weblog


深夜放送の、チャンピオンズリーグ「マンチェスターU
対インテル」の後半戦を見ていたら、いつの間にか寝
てしまった。
じっくり見ようと思っていたのだが、残念。
始まるのが二時近くじゃあね。
やはり、ビデオに録画しとけばよかった(ビデオで録
画というのも最早死語か)。

「トリップと白インゲン豆の煮込み」は、スノッブなM
氏におすそ分けしたのだが、どうやらお気に入りで、
ワインと供に食したようだ。
「イノシシと豚のリエット」の時はそれ程でもなかっ
たのだが、今回は「また作ってよ」などとリクエスト
までした。
まあ、トリップを仕入れて気が向いたら、とM氏には
言っておいた。

「リエット」の方は、T君にもおすそ分けしたのだが、
後で感想を聞いてみるとT君は気にいったようである。
これには理由がある。
T君は「リエット」そのものを食べたことがあまりな
いのだ。
つまり、相対的に評価するにはまだ経験値が足りない
と言えるのだ。
唯一経験しているのが、はっきり言ってあまり美味し
くないリエットなので、あれと比較したら(よく行く
カフェのもの)殆どのものは美味いのだ。
自分で自分のリエットを判断すると、標準的な味には
なっているが(ということはあれは標準以下)、特別
美味しいというレベルではないといったところ。
しかし、美味いと思って食べたのなら結構なことであ
る。
T君はその時、他の常連の客さんにも食べさせたらし
いが、そのお客さんというのはこちらも知っているの
だが、多分あのリエットで充分通用したと思う。
バゲットに塗ってビールのおつまみにしたらしいが、
むしろ、勿体無いくらいである。
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チェンジリング

2009年03月12日 | 映画


昨日の続き

貸しきり状態のレイトショーというのも落ち着かない
が、それより何とかしてほしいのは暖房。
一人しかいないからか、効きが非常に悪い。
足元が寒いのだ。
しかし、我慢するしか無さそうだ。
ほぼ定刻どおりに映画は始まった。

この「チェンジリング」、いろんな評を見る限り、かな
り評価が高い。
あまりにも評判が良いと、むしろ警戒してしまうのが悪
い癖だが、イーストウッド好きとしてもやはり今回の評
価の高さはちょっと行き過ぎではないかと思っていた。
そもそも、一般受けはあまりしないのがイーストウッド
だ。
例えばアカデミー賞の「ミリオンダラーベイビー」、皆
本当に良いと思ってるのだろうか(個人的には<ミスティ
ックリバー>の方が良い)。
どうも、イーストウッドの名前だけで無理して評価して
いるのではないか、と思えるような昨今の状況。
評価されるのは嬉しいのだが、本当に?とつい疑問をは
さみたくなる。

で、今回観ての感想はどうなのかというと、確かに良い。
全編を流れるイーストウッドのリズム。
このリズムが心地良い。
他の作品と同じく、間違いなくイーストウッドの映画
であるし、しかも上位に位置する。
前半20分ほどは、「アンジェリーナ.ジョリー」の熱
演でどうしたものかと思ったが(熱演俳優は好みでは
無い、それとこの女優もともと演技がくどいと思って
いた)、徐々に気にならなくなり自然と引き込まれて
いった。
いわば助走がちょと長かっただけである。

それにしても今回の「アンジェリーナ.ジョリー」は、
アカデミー賞的言い方だと、新境地を開いたなどとい
う表現になるのではないか。
メイクもちょっと凄く、決して美しくしようとしてい
ないところも良い(映画の一要素として)。
しかしこれは、1928年頃の標準メイクでもありそうだ。
市電の走る風景といい、ムルナウの「サンライズ」に
出てくる風景と同じであると思ったら、時代が殆ど同
じだった(こちらは1927年作)。
そんな当時の風俗雰囲気が、実によく表わされていた
と思う。
内容も、猟奇的な事件、或いは精神病院の実態などと
際どいものを扱っているのだが、イーストウッドが撮
るとえげつ無さより何故か気品すら感じる。
謎解き要素もある物語だが、説明調の、物語を物語る
だけの映画に収まらないのがイーストウッドのイース
トウッドたる所以である。
結末がすっきりしないなどと言われるが、それこそが
イーストウッドらしさでもあるのだ。

映画の長さも感じず終わったあと、劇場を出でると、
そこは係員すらいない無人の世界だった。
無人のシネコン、見ようによっては、ホラーの世界だ。
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レイトショー

2009年03月11日 | Weblog


地元でレイトショーへ行くのは初めてか。
嘗て、遅い時間に始まる自主上映的映画館に何度か観
にいったことはあるが、それはもう十何年か前の話で、
何故遅い時間だったのかというのも、本来の封切映画
が終わった後に始めるから遅くならざる得なかったの
だ。
今回は、流行の新しい「シネコン」での本当のレイト
ショ-。
そこへ行くのは初めて。
唯、地元といっても、車で一時間の松本での話しだ。
気軽に行くには、ちょっと遠い。
昔はその点、実にフットワークが軽かったのだ。

そんなすっかり腰が重くなった人間が、終了11時過ぎ
の映画を一時間かけて観にいくだから、これは多分、
酔狂というものだろう。
家を出るのが、七時半ごろ。
夜なので道は空いていて、早めに着いた。
開始十分前だから、良い感じである。
流石に新しい「シネコン」は、きれいである。
今まで利用した映画館では、一番整備されている。
しかも平屋なので、圧迫感がなく広々している。
「シネマライツ」という施設で、こういうところが田
舎のよさなのだろう。
土地は一杯あるので、駐車場も広く、全てにゆったり
しているのだ。
しかし、その分、人がいないという現実もある。

カウンターでチケットを買うと、全席指定ということ
で席を選ばなくてはいけない。
それで選ぼうとすると、どちらでも結構ですという
(後で理由は判明)。
なら、指定にすることも無いだろうにと思うのだが、
これも規則なのだろう。
適当に指定してその劇場に入る。
その前に飲み物だ、と入り口前のカウンターで「ホッ
トココア」なんて物を頼む。
300円。
これも一つの儀式みたいなもの。
チケット代はレイトショーで1200円である。
この値段なのでレイトショーにしたのである。
「ホットココア」を持って劇場に入る。

ずっと、全体的に何となく静かな雰囲気ではあると思っ
ていたが、果たして、そこには誰もいなかった。
おいおい貸しきりか。
レストランなどで貸切状態というのはままあることだ
が、映画館では初めてだ。
超満員よりは良いが、それにも限度がある。
半分くらいの入りが、観るほうとしては良いのではな
いか。
それなりの雰囲気をつくるのも、観客の役割なのだか
ら。
せめて数人来ないか、と思っていたが、結局その後誰
も来ず。
イーストウッドの「チェンジリング」は、田舎のレイ
トショーではこんな状況だ。
ゆっくり観たい人は田舎に限る、ということだ(そう
いう話でもないか)。
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フランス映画

2009年03月10日 | 映画


「モンテーニュ通りのカフェ」というレンタルDVDを見
る。
半額セール期間なので何か借りようと思い行ったはい
いが、なかなか借りたいものが見つからず、この際だ
から取りあえず何んでもいいから興味を引いたものを、
と選んだのがこれだったのだ。
何が興味を引いたかというと、パリのカフェが舞台で
あるという点。
その手のものでは過去に、イブ.モンタンの「ギャルソン」
や、誰だか覚えてないが「パリのレストラン」という映
画があった。
レストランなりカフェが舞台の映画は、その舞台裏が
見られるだけで、こちらとしては興味津津。
映画としてどうのではなく、その一点で興味があるの
だ。

で、今回の映画も、はっきり言って映画としては可も
なく不可もなしというところ。
一般的評価からすれば、多分、面白くない部類の映画
となるのだろう。
カフェに出入りする人々の人間模様、というのがその
主題なので。
特別劇的な何かが起こるという話ではないし、人情劇
というほどそういうのを強調するわけでもないし。
ひょっとすると、一般的イメージの「フランス映画」と
いうのはこういう映画なのかもしれない。
全体的には「アメリ」のテイストに近いと思うが、そ
もそも一括りに「フランス映画」という場合、一体そ
れが何を指すのか。
本当はそんなものは無いのだが、。
何故かというと、全ては監督次第だから。
エリック.ロメールとリュック.ベッソンを比べれば
一目瞭然。
唯、指しているのがどういうものかは薄々分かる。
要するに、ハリウッドの馬鹿映画ではない映画のこと。
実体としての映画ではなく、反ハリウッド的映画とし
て、例えば思索的な単純娯楽映画ではないものが「フ
ランス映画」的として、一つのジャンルの如くなって
いるのではないか。

で、「モンテーニュ通りのカフェ」に話は戻る。
結局どうだったかというと、こちらの期待したカフェ
の舞台裏があまり描かれてなくそういう意味では残念
であった。
しかし、映画としての期待はもともと持ってなかった
ので、落胆は無い。
単純に、インテリアのセンスであったり、ブラックや
らブランクーシ、ミロ、あとカンディンスキーか(こ
れは自信ない)、それにレジェっぽいものも、などの
作品も出てきて、そういう映画としては関係ない部分
でそれなりに楽しめた。
最初から映画として期待されずに見られるというのは、
作った側からすれば失礼な話だと思うが。


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アメリカンドリーム

2009年03月09日 | Weblog


「滝壺ビオトープの」の「ミズムシ」(フナムシの淡
水版のような生物)が水の中を動くのを見ていたら、
カンブリア紀の「アノマロカリス」を思い出してしまっ
た。
「アノマロカリス」は、村上龍司会の「カンブリア宮
殿」という番組があるが(好きな番組でもなんでもな
いが)、そのタイトルの時に登場する海を泳いでいる
生き物。
本編は見たことないが、何故かあの「アノマロカリス」
の姿だけは印象に残る。

ところで昨日の「NHKスペシャル」では、宇宙飛行士の
選抜試験を取り上げていた。
900人中10人に絞り、その10人の中から二人選ぶ最後の
試験の模様を追ったものだ。
十人に選ばれるだけでも、競争率九十倍を勝ち抜いた
わけだから大変なことで、それだけでも充分なのでは
と、関係ない人間からすると思えるのだが、試験を受
けている人たちにとっては、どうしても実現したい夢
としてのその重さが違うようだ。
宇宙飛行士になりたいなどという夢は一切無かった身
からすると、その夢を持ち続けること自体が尊敬に値
する。
それと、そのための努力も。
頼まれても(絶対無いことだがそう仮定しての話)や
りたいと思わないが、世の中、こういう人もいるから
面白い。

こういう夢には素直に感服できるが、これが例えば、
将来プロゴルファーになりたいというのものだったり
すると、全くそうならない。
何故かというと、そこには親の欲が透けて見えるから。
プロ野球選手でも同じこと。
要するに、あわよくば大金をという親の欲がそうさせ
ているのが殆どたと思うからだ。
この場合の夢は、大金を得ると同義語だ。
これだって夢には違いないといえばそういうことにな
るが(宝くじで大金というのと同じ)、夢という言葉
にはそうい生々しさを遠ざけるイメージがある。
その点アメリカンドリームははっきりしている。
基本的には、大金をつかむことのみが目標なのだから。

日本で使う夢という言葉は、結局日本的な曖昧さを含
んでいて、日本文化そのものということになるのだと
思うが、もし、美的な意味も含める、所謂ロマン主義
的な意味で夢という言葉を使うなら、宇宙飛行士は正
に日本的夢で、プロゴルファーはアメリカンドリーム
ということになる。
今は、市場原理的夢と言ったほうが良いか。
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カマキリ予報.結果

2009年03月08日 | 生き物 自然


どうやら今年は「カマキリ予報」(地面からのカマキ
リの巣の位置)ずばりで終わりそうな気配だ。
積雪十センチがその予想だったが、実際降ったのも
ほぼその通り。
スーパーコンピューターを駆使して予想する天気予報
より、カマキリの方が信頼性があるというのだから、
ここは自然の驚異に素直に感嘆するしかない。
それにしても、凄い能力だ。
改めて思うのは、人間は自然を畏怖しないといけない、
ということである。

その一環の(実はそういう思想的背景があったのだ、
というのは嘘)わが「滝壺ビオトープ」も、凍る恐れ
も少なくなってきたので、防寒用の発泡スチロールを
除去した。
外すと、その影で休んでいた「ヒメダカ」二匹があわ
てて逃げ出した。
彼らの隠れ家であったわけだが、これも仕方ない。
落ち葉や浮き草と、他にいくらでも隠れるところはあ
るのでそっちに行ってもらおう。
これからは、より日の差す環境にして、様々な生物の
活性化を助けなくては。

この「滝壺ビオトープ」が誕生したのは去年の六月。
まだ一年も経ってない。
だから、全くデータはないので、この春どういう変化
が起こるのか予想が付かない。
優先順位からすると、ヤゴの羽化が一番なのだが、他
にどんな生物が出現するかという楽しみもある。
例えば、「ツブゲンゴロウ」「チビゲンゴロウ」の幼
虫は出現するのか、はたまた、全く未知のものが出現
するのか。
兎に角、興味は尽きないのである。
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ピザ話

2009年03月07日 | 食べ物


しつこくピザの話。
本格志向は「ナポリピザ」に落ち着くというのは厳然
たる事実である、ということで話は進める。
となると使うチーズのモッツァレラは水牛製。
最終的にはそういうことになるのが、本格志向の宿命
だ。
水牛製と乳牛製のモッツァレラはどこが違うかという
と、香りだ。
水牛製のほうが乳臭いのだ。
チーズ臭いというわけではなく、乳臭い。
これがモッツァレラチーズの特徴でもある。
熟成の香りではなくフレッシュな香りが命なのだ。
しかし、明らかに違うというほどの大きな違いではな
い。
確かに違うが、その違いは、例えば「ペコリーノロマー
ノ」の12ヶ月と24ヶ月の違いより少ないかもしれない。
ここが辛いところだが、一旦本格派を標榜すると、そ
こまでしないと格好付かないというか収まらないのだ。
自ら門戸を狭めるのが本格派の、傍から見ると面倒く
さい本人からするとこだわりの部分でもある。
同時にそれは、他人からどうでも良いと一蹴されてし
まう危険性が常に付きまとう。

そうやって考えると、いろんなこだわりを持たない方
が遥かにいろいろ楽しめるといえる。
昔の方が心底楽しめたというのは、確かな事実である。
「シェーキーズ」が美味いと思っていたあの頃の方が
幸せであった、と思えてしまう自分が悲しい。

で、話は振り出しに戻り行った店だが、チェーン店の
「マルデナポリ」というちょっとふざけた名前の店。
店内の一角に赤いタイルの石窯が備えられ、外から
(屋外という意味ではない)窓越しに作業全てが見ら
れるようになっている。
テイクアウトで頼んだので、当然待っている間覗くこ
とになる(窓はその待合スペースにある)。
じっと覗かれているのを気付かないわけが無い。
ちょっと意識しながらの窯焼き作業。
こういう場合、やり難いのか嬉しいのか。
役者タイプだったら嬉しいだろうな、などと考えなが
ら焼き時間一分ちょっとの時間を待つ。
焼き時間が短いのも高温の石窯の特徴だ。
で、肝心の味だが、ちゃんとナポリピザであった。
モッツァレラは水牛製ではないが(と思う)、テイク
アウトで気軽に食べられるナポリピザとしてだったら
充分である。
居酒屋感覚でおつまみで食べるピザからすれば本格
的だ。
しかし、同じようなチェーン店の「グラッチェガーデン」
のピザは、あれはあれでビールのおつまみにはむしろ
適していると思う。
これも適材適所である。
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ピザの歴史2

2009年03月05日 | 食べ物


そして次の時代、ピザ中期。
パン生地ではなく、クリスピーなタイプが一気に広まっ
た時代だ。
イタリアンタイプが主役となる時代だ。
この辺りで、アメリカンタイプには別れを告げる、訳
ではなく、アメリカンタイプはアメリカンタイプで、
今度はデリバリーという形態で、同時に発展していく。

クリスピータイプは、一応「ローマピザ」ということ
らしいが、本当にローマがああいうタイプなのかは知
らない。
しかし、イタリアものが一気に浸透したのは間違いな
い。
当時、イタリアン(レストラン)が爆発的に増えたが、
その動きと連動してイタリアンタイプのピザも広まっ
た。
となると、ピザに使うトマトソースも、アメリカ式の
微妙な香辛料などは使わず、オレガノくらいでトマト
の味を生かしたトマトソースが主流となる。
チーズもモッツァレラがスタンダードとなる。
この頃になると「マルゲリータ」などという言葉もち
らちら聞くようになる。
まだ、モッツァレラが本来は水牛のチーズであるなど
という所までは行かないが、本格ピザにはモッツァレ
ラ、という図式は完成した。
生地は、それまでのパンタイプの反動という意味合い
もあったが、本格志向の人間も取りあえずクリスピー
タイプには飛びついた。

そして成熟期ともなる今の時代。
クリスピータイプは未だ健在。
アメリカ式も健在。
何が違うかというと、ナポリタイプがいよいよ登場し
たということだ。
クリスピータイプに飛びついた本格志向の人間も、ど
うもあれは感触だけで、今ひとつ旨味を感じないと思
い始めた。
そんなところにナポリピザの登場。
真に美味いのは、香ばしく焼けたもちっとしたこうい
う生地のピザである、と気付き始めてた。
第二の開国である。
更に進んで、モッツァレラは水牛に限る、などと言う
うるさい人間まで登場する。
時代はローマからナポリとなったのだ。
それがここ四五年の状況である(殆ど自分史のようで
はあるが)。

考えてみればイタリアでは、常にローマタイプとナポ
リタイプはあったわけで、どちらが本格派というもの
でもないはずだ。
しかし日本では、ナポリタイプが本格派という共通認
識ができつつある。
これは、日本の独自の麺文化がそうさせたのではない
かと思う。
つまり、麺の一種である生地そのものの味を追求する
という姿勢が、そのまま日本の麺文化ではないかとい
うことである。
世界でも、こういう風に拘る国もあまりないのではな
いだろうか。

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ピザの歴史

2009年03月05日 | 食べ物


松本の酒屋に行く。
正確には松本の隣。
そこは、専用のワインセラーを完備し、品揃えも多くし
かも値段も良心的という、外見からはとても想像でき
ないような店なのだ(外見はいたって普通の酒屋)。
「アドヴァンス村井」というのだが、以前ワインを飲
んでいた時はちょくちょく利用したのだが、今はすっ
かりご無沙汰である。
今回も、ワインではなく違うものを買いに来た。
が、主人と暫く最近の政治のひどさについてひとしき
りしゃべる。
酒屋政談である。
ここでこんな話をしても、全く政治には反映されない
というのが空しい、というのが二人の共通認識である。
出るのはため息ばかりなり。

その後、「ナポリピザ」を出す店に行く。
初めての店で、特性石釜完備のチェーン店だ。
しかし、普通のファミリーレストランよりは良さそう
なので行くことにした。
去年できた、新しいショッピングモールの一角にその
店はある。
まるで、イタリアの港町にでもありそうな外見だ(行っ
たこと無いが)。
或いは、湘南辺りにありそうな(こちらの方が近いか)。

ここで、日本におけるピザの歴史を。
この前見たあるブログに書いてあったが、それが、殆
どこちらの考えるものと一致していたので、こちらも
書いて見たいと思ったのだ(結局ピザが好きなんだね)。

まずピザ黎明期。
イタリアではなくアメリカ経由が当時のピザ。
つまり、「シェーキーズ」に代表されるあのピザだ。
始めは(30年以上前)出す店さえあまりなかった。
そこに、アメリカ資本のチェーン店が展開を始め一気
に普及した。
「ピザハット」などもその仲間。
ピザのタイプは、生地はパンのようなもので、ソース
はここが如何にもアメリカなのだが、微妙に変な香辛
料の味がする。
この時期、もっと凄いトマトソースもあった。
トマトケチャップ味だ。
ピザ好きであった私も、あれは駄目だった。
ピザが普及して、どこでも出すようになったことによ
り(スナック辺りのおつまみでだすような)、あのよ
うな異端ピザも出現するようになったのだ。

そして、使うチーズはゴーダチーズのようなタイプで、
モッツァレラなどというのはまだ未知のもの。
しかし、当時は、それで充分美味かった。
「シェーキーズ」の食べ放題で、死ぬほど食べたのも
この頃だ。
そしてファミリーレストランの増殖とともに、普通に
出されるメニューとなった(喫茶店に代替メニューの
ピザトーストが広まったのもこの頃)。
冷凍ピザも一気に広まった。
ただし、ファミリーレストランにしろ冷凍物は、美味
いというものではなった。

続く
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トリップの煮込み

2009年03月03日 | 食べ物


T君がコンフィ用の「ホロホロ鳥」がほしいので、ネッ
トで注文してほしいと(T君はパソコンがない)言って
来たので早速注文したのだが、それだけでは送料の占
める割合が高くなるので、ついでにこちらも何か注文
することにした。
それが「トリップ」だ。
牛の胃袋の「ハチノス」。
以前も一回頼んだことがあり、トマトで煮込み、オーソ
ドックスな「トリップの煮込み」(イタリア式にトリッ
パの煮込みと言った方がピント来るかもしれない)と
して食した。
ポイントである臭いを取るための下準備が必要である
ということは、その時すでに体験済みだ。

で、今回は、トマト味ではなく、白インゲン豆と煮込
む白い状態の料理にしようと思った。
ということは、より臭みに注意しないといけない。
一回煮こぼし、更に二時間ほど香味野菜とともに煮る。
これで、準備完了。
内臓関係では、臭いが少なさそうな「ハチノス」だが、
結構臭うのだ。
そして本格的な煮込みに入る。
インゲン豆、セロリ、ニンニク、人参、玉ねぎが一緒
に煮込む材料だ。
それに、出汁代わりに、今回はイタリアの「コッパ」
というのを使った。
生ハム、のようなものらしいが、出汁用に良いかと思
い一緒に購入したものだ。
後は、香辛料の黒胡椒とアニスだ。
アニスは、八角ではない方のアニス。
何のことか分かり辛いが、中華で使うのではなく、中
近東で使う方のアニスのことだ(どっちにしろ分かり
辛いか)。

しかし、何か忘れているような気がしてならない。
それは、煮込んでいるうちに思い出した。
白ワインだ。
煮込みの基本でもある、白ワインを忘れていた。
勿論、途中から入れれば済むことだが、その白ワイン
が手元に無いのだ。
わざわざ買いに行く気も無いので、代替品を探した。
で、目に止まったのはブランデー。
ちょっと違うとは思ったが、取りあえず気持ちの問題
である。
はっきり言って、大した効果は無いと思うが、ブラン
デーを本当に気持ち程度使い、煮込み続け、豆が柔ら
かくなって完成した。
結論は、トマトを使った方が臭みとの相性は良さそう
だということ。
一般的にトマト煮が多いのは、それなりの理由があっ
たわけだ。
しかし、決して今回のものが不味いわけではい。
唯、まだ改善の余地はあるということなのである。





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ツルフジバカマ

2009年03月02日 | 生き物 自然


山の住人Y君とも話したが、今年は、「ツルフジバカ
マ」を畑の土手に是非とも根付かせたい。
この「ツルフジバカマ」というのは、以前はこの辺の
どこにも生えていた雑草、野草である。
それが、草原や河原の土手の草刈とかしなくなったこ
とにより減少した。
県によっては絶滅危惧種に指定されている。
では何故「ツルフジバカマ」かというと、それが「ヒ
メシロチョウ」の食草だからだ。
「ヒメシロチョウ」というのは、「モンシロチョウ」
の半分ほどの大きさの、弱弱しく飛ぶ可憐な蝶で、
この地方では5月頃に発生する。
しかし、食草の「ツルフジバカマ」の減少とともに数
を減らし、今では珍しい蝶となってしまったのだ。
去年、Y君の家の近くで発見した時は、相当感激した。


で、畑に「ツルフジバカマ」が根付けば、「ヒメシロ
チョウ」の楽園も夢ではない。
種の保護にも繋がるし、何とか成功させたいと思って
いる。
他にも希少種の保護に繋がるような食草を増やしたい
ところだが、畑の環境に適したものはそう多くは無い。
今のところ、この「ツルフジバカマ」が一番可能性が
高いと思われるのだ。
元々この地にあった植物であるということもポイント
である。
全く関係ないものだと、外来種として本来の生態系を
壊す可能性がある。
現在「滝壺ビオトープ」で物凄い勢いで増えている貝
は「サカマキガイ」であるが、これも元は外来種だ。
その分「タニシ」はあまり見られなくなってしまった。
こういう風に、在来種が駆逐されてしまわないように
最新の注意が必要ということなのだ。
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アメリカばんざい

2009年03月01日 | Weblog


フランスの何とかトッド(前半は忘れた)という人類
学者は、ソ連崩壊と、今回のアメリカ金融危機を予測
したということで、その先見性と確かな分析力が世界
からも注目されているらしい。
というのを、昨日のBSを見て初めて知った。
その指針としたのは、新生児の死亡率。
先進国の中でも、アメリカは他の国より倍くらい高い
のだ。
要するに、保険に入れない貧困層の増大、医療制度の
不備、もろもろの先進国としてのほころびをそこに見
たということである。
本質的な変化は、案外単純な数値で表わされるのであ
るという事実も、このことから再認識することとなっ
た。
というより、ここに着目したその着眼点が凄いのか。
こういうのを演繹的アプローチというのか。

金融は、複雑になるばかりで、数値が意味も無く飛び
交い、一見派手で華やかではあるが、その実、空虚な
世界であったということに気付いた人々は、一体この
先どうすれば良いのか。
なんてことも言えそうだが、今更気付くことでもない
ようにも思える。
翻弄される人間はいつの世でもいて、出ては消え出て
は消えの繰り返しがいままでの世界だったのだが、そ
れもこれからは変わるのだろうか。

一つ言えそうなのは、アメリカ中心の一極世界はもう
ないということだ。
最早アメリカは、真似する国ではなく、反面教師にす
る国である。
日本がアメリカにくっ付いていれば良いという時代
は、過去のものになりつつあるのは間違いない。
こうなると政治がその重要性を増すわけだが、今の顔
ぶれを見ていると、過去を踏襲するしか能の無い、な
んとも頼りないラインナップだ。
時代を見通す能力が今ほど必要とされているのは、明
治維新以来のことではないかと思うが、プレスリーの
真似をするご機嫌の小泉元首相の姿が何ともやりきれ
ない。
それと「オバマ幻想」も要注意である。

と、そんなことより池のクリーナーの掃除だ、今現在
の課題は。



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