アンサンブル・ド・ミューズ ニュースレター

レッスンの事、日々の出来事などいろいろと…。

ヴェネツィアへ…♪

2011-03-11 08:56:15 | Weblog
ワタクシ、2月中は古代中国といえば宜しいのでしょうか、後漢の時代に遊んでおりました。
ある時期を過ぎますと目まぐるしく皇帝陛下が変わり、その度にまことに血腥い権力争いがあり、ほっとする間もなくまた皇帝陛下が、皇后様が、………という時代。
どなた様がどなた様と意を通じておられるのか、どなた様がどなた様にお仕えになっておられるのか、またこのお方のお父上はこちら様なれど、そのお父上はさてどなた様でしたっけね…、ときちんと覚えてはいられないほど貴顕が入り乱れております。
その上匈奴だ鮮卑族だ黄巾賊だのがあちらこちらで暴れまわっては世をかき乱し、その討伐に軍を率いて向かわれた将軍が、あろうことか自ら朝廷を威圧する勢力となってしまわれたり、はては皇帝陛下を虜囚のごとくに扱って驕り悪行の限りをつくした者など、それを一幅の絵巻物として眺めてみれば、まことに凄惨な景色でございました。
まぁ、中国といえば《白髪三千丈》のお国柄ゆえ、5万人殺した、1万の首級を上げたなどといいましてもそこはかなり割り引いて捉えたほうが宜しいのでしょうが、それにしましてもねぇ。
現代であればミサイルだの核兵器だのが、それ一つで一瞬にして数万人数十万人を殺傷してしまいましょうが、あの時代、剣に鑓に弓矢、矛、戟を手にした戦いで、いわば手作業()でございますよ。それでよくもまあ現代の兵器に勝るとも劣らぬほどに殺したなぁ…と…、やはり《白髪三千丈》なのでございましょうね。
我が君曹孟徳さまも、はじめのうちは隠忍自重の日々を過ごされておりました。意を決しての初戦では滅茶負けを喫して一進一退。友と許した男には背かれ、厚情を以って遇した男には後足で砂を浴びせられ、ご嫡男は討ち死に、ご正室さまには去られ…と傍で見ているワタクシは歯がゆい思いを致しました。
けれどやはり我が君は天帝に選ばれたお方なのでございましょうね。
少しずつその周辺が明るく、また時が満ち始めたようでございます。残念ながら『赤壁』では手痛い負け戦になってしまいましたが、まだまだこれからでございます。
我が君のこれからの活躍を楽しみに、ワタクシは一旦日本に立ち戻り、数日お江戸は日本橋界隈で遊んでまいりました。
長崎屋さんという回船問屋の大店がござんしてね、こちらの若旦那がまことに気分の良い楽しい若者なんですが、ちょぃと大きな声では言えない様な“もの”たちも一緒に暮らしているんですよ。
それはね、《妖=アヤカシ》という人ならぬものでござんす。ま、このものたち皆一様に若旦那を好いているようで、若旦那の日々を何かと賑わせておりますね。
じつはね、若旦那が普段お住いの離れにお邪魔しておりますときにはワタクシも《妖》となっているんですよ。なんたってアナタ、21世紀のなりじゃぁかえって怪しまれちまいますからね。
どんな《妖》かって?
ええ、唐渡りの古~~い花活け、白地に藍の花模様が描かれた焼き物の花活け、いまでいう花瓶でござんすね。器物が大切にされて長い年を経ると成るという《付喪神》というのはご存知でござんしょう?ワタクシは花活けの付喪神となって若旦那のお居間にいさせて頂くのでござんすよ。
離れではときおり妖が若旦那を囲んで宴会を開くことがござんしてね、そんなときにはワタクシも南蛮仕込みの踊りなんぞ踊って座を盛り上げております
そんなお江戸からも昨日立ち戻りました。
で、これからしばらく洋行致します。
ヴェネツィアへね、また行ってみようと思い立ったものですから…。少し長い旅になるかもしれません。去年一度は行ったのですけれど、今回も同じ道を辿る予定です。
まず西暦450年頃のヴェネツィアへ行きまして、少しずつ時の中を旅しながら、1797年の共和国終焉までを見届けてこようと思います。
ああ、アッティラが攻めてきたと町中が騒然となっておりますわ ワタクシもしばし教区の人々と行動をともにしてみることに致します。では…。
…………………………。
ってね。
宮城谷昌光版『三国志』6巻までを読んだあと、畠中恵著『しゃばけ』シリーズのうち『ちんぷんかん』を楽しみ、これから塩野七生著『海の都の物語』全6巻を読むんだよぉ~ん、という近況報告でした
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