アンサンブル・ド・ミューズ ニュースレター

レッスンの事、日々の出来事などいろいろと…。

えぇ~、そりゃ違うでしょ…!ん~屁理屈かなぁ…

2010-12-05 10:58:55 | Weblog
先日PCで作業をしている間、TVをつけていた。
ただ単に作業に集中するために軽い雑音が欲しかったというだけなので、何の番組を放送していたのかは分からないし、まぁそれはどうでもいいこと。
作業を進めていたある瞬間、“え゛っ…?”と耳が反応して手が停まった。
それは丁度○ニ○ロのCMで、黒木メイサと松田龍平が雪景色(?)の中を歩きながら交互に詩のようなものを朗読しているらしい…というものです。その1節、
“どこもかも…”
“どこもかも…”
に耳が反応したのよね。
はぁぁぁぁ~~っっっ そりゃぁないでしょっ
“どこもかも…”という日本語は、無い
日本語ではどこもかしこもという。
“なにもかも”の場合は“かも”だが“どこも”の場合は“かしこも”が正しい。
まぁね、あのCMの演出を考えた人にしてみれば、“どこもかしこも”では語呂が合わない、とか、リズムがはまらない、とか、絵的なイメージが優先だから、とか、リクツはいろいろいろいろ、そりゃぁあるんだろうと思う。
それはそれでよかろうとも思う。
ただ、その“どこもかも”自体が間違いだと識っていて敢えて使うのと、間違いであることを知らずになんとなく言葉として受け入れて常用するようになってしまうのとでは大きな違いがあるよな、と考えたのよ。
確かにね、言葉、とくに話し言葉というものは時の流れとともに少~しずつ変化していく生き物ではあるんだけどさ。
例えば“なにもかも”だって元々は“なにもかにもだったのが変化して、“かも”で常用するようになっているからね。普遍的に常用するようになれば許容され間違いとはされなくなる。
それは分かってる。
だからこそ、もともとの正しい言葉は何か、をきちんと伝えることも必要なんじゃないかしらん。
もうずっと“日本語が乱れている”だの“若者の言葉が乱れている”だのといわれてきている。ごもっとも、おっしゃるとおりでございます。
でもね、私は流行語とか若者言葉とか女子高生言葉とか、あって構わないと考えている。それぞれのテリトリーにおいて楽しく意思の疎通が図れて交流出来る、そんな日常語はあっても良いと考えている。
問題なのは“それしか知らない”“それしか使えない”ということなんじゃないかな。
乱れているのなんのと批判する前に教えたらいいじゃない…、誰か教えろよっ…、ってそこまで思って、あ、我関せずじゃイケナイのね、と考えた次第です。
私は本職も天職もバレエ教師だが、国語の教員免状を持ってるもので…つい…
いいですか“どこもかしこも”ですよ。
「ね、アナタの携帯電話はどこの…?」
「う~ん、ドコモかも…」
この場合は“どこもかも”でいいんだ…、“かも”で…。わかりきった蛇足で申し訳ない…

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