「あなた、学校で友達が嫌がる事したんですってね」
「だって、あいつら、先生に内緒で僕にイヤガラセするんだ」
「イヤガラセってどんな事をされたの?」
「昔僕が叩いた事を謝れとか、女の子に冷たくした事を反省しろとか・・・」
「あなた、そんな事してたの」
「仕方が無かったんだ。あの時はそうする事が正しかったんだから」
「でも先生はあなたには失望したって電話で言ってたわ」
「先生は何も知らないんだ。あいつらのやり口は汚いんだ」
「でも、学校ではお友達と仲良くしなくちゃダメよ。クラスのお母さん達にも文句を言われたわ」
「お母さんは僕の味方じゃないの?」
「お母さんは、友達と仲良く出来ない子の味方はしません」
「お兄ちゃんは悪く無いよ。だってあいつら本当に汚いんだ」
「あなたまで、そんな事を言うの」
「だってお兄ちゃんの先生間違っておるもん。僕、黒板に先生の悪口書くんだ!!」
「ちょっと、何言ってるの!!近所のお母さん達にどういう教育しているんだって言われるわ」
「お母さんは近所の心配ばかりだ!!」
「もういいよ・・・僕は正しい事をしているんだから・・・」
昨今の日本を取り巻く事情を小学生にも分かる様に書けばこうなるのでしょうか?
国際問題における「正しさ」とは「相対的」概念であり、
その時々の世界情勢や大国の思惑で変化し続けています。
日本人は「正しさ」を「絶対的な基準」として自分に「正義」があると主張しています。
一方で世界は「正しさ」を「相対的概念」として先進国である日本に自重を求めています。
世界は日本の主張の「正当性」には一切興味など無く、
相対的に東アジアで緊張が高まる行為を「間違い」だと指摘しています。
そんな相手に「日本の正しさ」を主張しても全くの無意味なのかも知れません。
例えば、中国が尖閣問題で挑発的に態度に出れば、世界は同様に中国を批判するでしょう。
世界はリアリストであり、「正しさ」の基準は経済的利益に置かれています。
例えば、南スーダンの韓国軍の弾薬の問題が話題に上がっています。
日本国内では、韓国と日本のプライドの問題ばかりが話題になりますが、
南スーダンの現状についてどれだけの理解や知識を国民が持っているでしょうか?
スーダンはアフリカ大陸6番目の産油量を誇りますが、その85%が南部に集中しています。
南北スーダンの分裂は、この石油利権を巡る争いであり、南スーダンの分離独立は、先進国の石油利権の組み換えに関わる問題です。
韓国軍がPKOとして南スーダンに駐留するのは、自国の石油権益をアメリカに認めさせるために必要な行為であるのです。
逆に、前線に自衛隊を出せない日本は、資金面や物資の面から韓国軍を支援する事で、結果的に南スーダンにおけるアメリカの石油利権を守る事に貢献しています。
今回、南スーダン駐留の韓国軍への日本の弾薬援助をリークしたのは自民党に右派の誰かでしょう。このリークは韓国へのイヤガラセであると同時にアメリカへの挑発とも受け取れます。
安倍首相が自発的に中韓を挑発しているのか、あるいは誰かの指示かは分かりません。
しかし、安倍氏や安倍氏周辺が多少ハメを外しても、アメリカから実質的なお咎めが無いのなら安倍氏の行動は、アメリカの利益と合致していると見るのが陰謀論的視点です。
国際問題の表面的リアリティーすらも理解しようとしない日本人は、国際問題の裏のドロドロした面を想像する事を拒絶するのでしょう。
国益とか、国柄などと声高に叫ぶ人程、表面的なプライドしか見ていない様な気がします。
戦前は世論とマスコミが先頭に立って、日本を戦争へと導きました。
戦後教育は「軍の独走」が戦争を招いたという間違ったプロパガンダによって、本当の歴史を封殺しました。
日本国民はとかく責任は政府や軍に押し付けて、自分達の責任に無自覚です。
ところが、その代償は必ず国民に降りかかってきます。
東アジア情勢を過去の歴史では無く、現在のパワーバランスで見つめる視点こそが、今の日本人にとって大事なのでは無いでしょうか。
その意味において大手マスコミの論調も少し的外れな感じがします。
「平和」とは時として非常に凶暴な一面を持っている事を彼らが国民に知らせる事はありません。