■ 連日報道されているけど全く理解出来ないタイ情勢 ■
タイの反政府デモが激化して連日TVでも報道されています。(TV持って無いけど・・)
ところで、タイの反政府デモって、何が原因で対立しているのかイマイチ分かりません。
対立してるのは 「タクシン派 VS 反タクシン派」。
ここまでは私も理解しています。
現在のタイの首相はタクシン元首相の妹のインラック首相。これに対抗して反政府デモを扇動しているのが、民主党の元副首相のステーブ•トゥアクスパン。
反タクシン派は議会を放棄して、「民衆クーデター」を煽動し、タイの主要機関を占拠した事が今回の混乱の原因です。
■ 華人同士の争い ■
タクシン元首相は国会議員の息子として生まれ、警察官僚となりますが、その頃から通信関係のビジネスを立ち上げ、通信とメディアで大成功を収めた人物です。いわば、タイの孫正義氏と言えます。
1994年から政治活動を始めたタクシンは、2001年から6年間タイの首相を務めました。彼の政策は「地方へのバラマキ」で地方の支持を集める事。
バンコクを中心とするタイの中央は華人(中華系)が経済を支配し発展してきました。一方、地方は少数民族が多く、教育レベルも低く経済も停滞しています。タイの政界は華人が支配していますが、後発のタクシンは「地方票」に目を付けて支持を拡大したと言えます。
それに対抗する民主党のステーブ•トゥアクスパンらは伝統的なタイの華人ネットワークに支持基盤を持ち、都市部を中心に経済界や知識層、中間層からの支持を受けています。
今回、ステーブ•トゥアクスパンらが議会制民主主義を否定のは、地方へのバラマキによって地方の支持を集めるタクシン派に「数の政治」で敵わない事が背景にあります。都市部の中間層を煽動して直接的な行動に出たのです。
タイの混乱は表面的には「都市 VS 地方」の構造を持っていますが、その内実は新旧華人同士の既得権を巡る争いでしかありません。
傍目に見れば、「なーんだ」って感じですが、日本の政治も似たり寄ったりで、地方バラマキ派の自民党と、都市部住民バラマキ派の民主党系の対立は、ほとんど同じ構造だとも言えます。
■ 最終的には軍がクーデターで事を収め、国王がそれを承認する ■
あくまでの民主主義に則った選挙で決着が付く日本と異なり、近年のタイは政治的対立が議会の外に持ち出される傾向が強い様です。数で有利なタクシン派に反タクシン派は議会で歯が立たないからです。こうして、2006年からタイでは頻繁にタクシン派と反タクシン派が抗議デモを繰り返す様になります。
日本でも安保闘争の頃は若者を中心に国民の政治行動が盛り上がった時期がありました。タイも経済が発展によって国民の権利意識が高まった事が、デモの根底的な原因となっているのでしょう。
かつての日本同様に警察が反政府デモの鎮圧に当たり、少なからぬ犠牲者も出る昨今のタイですが、面白い事に最後が軍がクーデターを起こして強権的に対立を収めます。そして興味深いのは、国民が軍のクーデターを支持しています。
軍は「国王の軍隊」というスタンスを貫いており、日本同様に古い王権が国民の圧倒的支持を集めるタイでは、「国王の軍隊」が出て来た時点で、政治的な対立は一時的に収束します。
後は混乱が収まるまで軍主導で治安と秩序が回復され、その後は民主的な選挙で議会制民主主義が再開されます。
■ いつまでも決着が付かないか華人同士の対立 ■
議会が再開されても、地方票を押さえているタクシン派が直ぐに政権に返り咲きます。そして、反タクシン派が次第に議会の外に闘争の場を移して行く・・・・こんな堂々巡りをタイは繰り返しています。
最早、そこには「国民の幸福」など不在で、単なる華人社会の対立があるだけとも言えます。
■ 民主主義を補完する王室と皇室 ■
私は議会制民主主義は権力者に都合の良いシステムだと思っていますから、反タクシン派の議会制民主主義の否定にはある意味においては共感を覚えます。
ただ、一般の日本人は「民主主義は錦の御旗」と思い込まされていますから、議会を否定する反タクシン派の主張は分り難いかも知れません。一方で、議会の外に争いが持ち出されるタイは、直接民主主義を実践しているとも言えます。
尤も、国家の様な大きな社会単位では直接民主主義も機能せず、対立の深化は国民の分断に発展して社会秩序を乱す結果となります。
この国民の分断を抑止するシステムとして宗教や他国との対立が利用されます。西洋諸国ではキリスト教がその役割を担い、あるいは隣国との戦争がその役割を担って来ました。
一方、日本やタイでは古くからの王室への信頼と愛情が、国家の分裂を抑止して来ました。もっとも、それらの機能は、近代化の過程において作り出されたものだとも言えます。
日本における天皇への崇拝は、明治政府が政治的に作り出したものであり、江戸時代以前は天皇と国民の関係は希薄でした。伊藤博文の天皇機関説を見るまでも無く、明治政府はそれまで「バラバラな国」であった日本を「天皇教」という信仰宗教でまとめ上げたのです。
タイの王室も似た様なもので、多様な民族からなるタイを一つにまとめるには、王室という分かり易いイコンが最も有効に機能するのです。
こうして考えると「靖国問題」も違った姿を現します。
多くの日本人は「靖国参拝」を日本人の伝統に根差した「心の問題」と考えていますが、歴史的には明治以降の「国家神道」は一種の政治的な装置であり、その象徴に利用されて来たのが「靖国神社」であったとも言えます。
西洋諸国では「キリスト教」が、イスラム国家では「イスラム教」が国家宗教として国民の統率に利用されて来ましたが、一神教の様な個人と神の強い契約関係の無い仏教国や、多神教国家においては、神に変わる規範として王室や皇室が利用されて来たのです。
中国や韓国では「儒教思想」がこの代わりを務めています。儒教は目上を重んじる事を大切にするので、国家や社会秩序の安定に非常に重要な役割を果たしています。
■ タイは日本の鏡の様な国である ■
こうして見てみるとタイは日本に非常に似た国です。仏教的な思想が浸透し、国王(天皇)を心の支えとしながらも民主主義を受け入れています。
理解不能に思える政治情勢ですが、実はタイは日本の鏡の様な存在なのかも知れません。