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遠すぎた橋・・・未完のループ橋

2015-06-03 12:54:00 | 時事/金融危機
 

■ この橋はいつになったら完成するのだろう? ■ 



先日の自転車の記事で取り上げた清澄山に掛る大ループ橋。巨大構造物を見ると理由も無く血が騒ぐ男子としては何だかゾクゾクする景観です。

ところでこのループ橋、正式には「市原天津小湊線坂本2号橋」という名前が付けられています。私が自転車で鴨川に通い出した頃は、工事用の仮設橋が作られ始めた頃でしたので、かれこれ10年近くの歳月を経てようやくループ橋部分の完成が間近となった様です。現在は工事用の仮設橋の撤去作業が行われています。

しかし、橋の上側の道は未だに整備されていません。



上の地図でグレーで示した940mの区間の工事が終わっていません。実はこのループ橋(赤色)を含む区間の整備計画年度は1999年から2010年でした。しかし、工事の進捗は遅れループ橋部分が着工されたのは2001年になってからでした。

現在は未供用の橋の上側940mの工事の2021年までの完成を地元が県に嘆願しています。何とも気の長い話ですが、2021年は日蓮生誕800年を記念した行事が、誕生寺と清澄寺で予定されています。誕生寺は日蓮が生また寺。清澄山が若き日蓮が主張に励み、日蓮宗を開宗した由緒正しきお寺なのです。

その一大行事には日蓮宗の信徒が全国から訪れると思われますが、実はループ橋部分の現道は道幅も狭く、ヘアピンカーブが連続して大型の車両のすれ違いが出来ません。




ですから2021年の記念行事までに、未供用の部分を完成させる事が清澄山と地元にとっての悲願となっている訳です。

■ そもそも何故工事が遅れたのか? ■

しかし、2010年完遂予定の工事が何故ここまで遅れたのでしょうか。

理由は県の財政の逼迫によって予算が十分に付かなかったという当たり前のものでしょう。では、何故予算が付かないのか・・・。

理由は簡単で、ループ橋を含めた県道81号線(養老清澄ライン)の交通量が少なく、道路整備に見合う効果が得られないからです。

県道81号線は大多喜街道の上総牛久を始点として、養老渓谷を通り、七里川温泉を経由して清澄山を経て安房天津に到達する県道です。私がこのルートを自転車で利用するのは、京葉地区から最短で鴨川に至るルートだからです。

しかし、君津市の七里側温泉から清澄山までの区間は乗用車1台がやっと通れる区間がほとんどで、大型のトラックやバスが通れる様な道では有りません。林道と区分されても仕方の無い様な道です。

そして、七里川温泉から清澄山までの区間には、ほとんど集落が有りません。ですから、この県道は限られた集落の住人の生活同としての機能しか果たしていません。


■ 既に整備目的は失われている ■

県がループ橋を含む区間の整備を決めた背景には、「養老渓谷や七里川温泉といった沿線内陸部と、鴨川周辺の海岸部の観光活性化、そして物流の活性化」という目的が有りました。

しかし、現在、養老渓谷や七里川温泉までの道路はほとんど整備が完了しており、県道81号線からも、或いは久留里街道を経由しても東京方面からの交通にストレスは感じません。

では、鴨川方面の海に至るアクセスはと言えば、館山自動車道が出来たので、房総スカイラインから鴨川有料道路を経由すればスムースにアクセス出来てしまいます。

結果的に安房天津から七里川温泉の区間の県道81号線沿いで、この道を必要とする大型車両が行先とするような場所は清澄寺しかありません。しかし、清澄寺は正月を除けば観光客はほんど居ません。

現在の整備計画の目標を地元は日蓮生誕800年の2021年としていますが、この行事が終れば、この道を通る車は現在と同様、ほとんど無くなるのです。(清澄寺が一躍有名観光スポットになるとは考えられません)

結局、優先される周辺道路の整備が進んだ事で、県道81号線の整備の目的はとうの昔に失われているのです。

■ トンネル崩落でほぼ1年間閉鎖されてた県道81号線 ■

実は県道81号線は七里川温泉からすこし先でトンネルが崩落して、昨年5月から今年4月までほぼ1年間、通り抜ける事が出来ませんでした。この間、沿線の住民は確かにご苦労されたと思います。

ただ、この区間で集落と言えば清澄山と七里川温泉の丁度中間に有る四方木集落だけですから、35世帯 85人の人口しか居ません。

確かに鴨川方面から七里川温泉に行こうとされた方の多くは、温泉のすぐ近くまで来てUターンさせられる事になり驚いたと言われていますが、それでも諦めず鴨川まで戻り別のルートで温泉を楽しまれた方も多い様です。(寿司屋で聞いた話)

この様に、県道81号線は大雨の度に何処かが崩れ、その復旧として百m程の区間の山の斜面がコンクリートで固められ、同時に道が2車線に拡張されて来ました。ですから、ガタガタの舗装の一車線区間に、所々整備された区間が点在する意味不明な道となっています。

■ 千葉県にはこんな道は沢山有る ■

実は千葉県を自転車で走ると、車も通らないのに無駄に立派な道が沢山有ります。自転車乗りとしては天国の様な地域ですが、これが我々の税金で出来ているのかと思うと唖然とします。それらの道には、タヌキやシカやサルの絵が描かれた「動物注意」の標識が点在しています。

これらの道は本来並走する県道や国道などの混雑緩和の目的で整備されたはずですが、不思議な事に県道や国道は休日の夕方になると渋滞しています。大多喜街道などは道幅が狭い上にゴミゴミした街中を走るので信号に引っ掛かる事が多いのですが、並走する「うぐいすライン」はガラガラです。

多分、カーナビが最短コースの主要道を優先して指示する為に起こる偏りなのでしょうが、行政はあえて「うぐいすライン」に車を誘導している様には見えません。この道をスイスイ利用するのは、一部の人か、周辺のゴルフ場の利用者だけです。

■ 少子高齢化の進行で山間の集落の住人は近い将来激減する ■

現在、日本の山間の集落の住人の平均年齢は余裕で60歳を超えていると思われます。先ほど例に出した鴨川市の四方木集落の35世帯、85人の人口は20年後にどの位減っているのか・・・考えるだけでも恐ろしくなります。

日本を見渡せば、こんな集落をそれこそゴロゴロ有る訳で、その集落に辿り付くまでに幾つものトンネルや橋を整備し続ける事になります。(自転車乗りとしては整備される事を切に願うのですが・・・)

問題は日本の財政がいつまでこの負担に耐えられるかという一点に絞られます。一日、数台の車しか通らない道や橋やトンネルを維持する事は可能なのか・・・。

■ 伊豆にある廃ループ橋 ■



上の写真は廃墟マニアの間で有名な伊豆に有る「赤沢八幡野連絡橋」という廃ループ橋です。1970年代末に別荘地開発の為に建設された橋ですが、その後別荘地開発は会社の倒産で凍結。橋は1991年頃には工事車両が通行していたという記録が有るので、完成していたのですが、その後は開発頓挫と共に利用されなくなりました。

しかし、橋を撤去するお金を誰も出しません。そして現在は橋の先端部はジョイント部から外れて崩落したままになっています。

元々の橋の構造が脆弱過ぎたという指摘は有りますが、整備されない構造物は30年余りの時間の経過に耐えられないのです。

現在、全国の国道ですら崩落に危険の有る橋やトンネルが存在します。県道や林道などを含めれば、膨大な「要メンテナンス」の構造物が年々増えているのです。そして予算の逼迫によって、メンテナンスが十分に成されないまま、放置されている物も増えています。

■ 将来的にはメンテナンス出来る範囲に人口は集約する ■

現在の状況が続けば、日本の人口は交通の便の悪い所から消失して行きます。山間の集落はコミニュティーの維持が不可能になり、生活同も土砂崩れなどで寸断されても復旧もままならなければ、その様な場所から人々はどんどん移住してゆきます。生活出来ないのですから当然の選択と言えます。

日本の法律では「強制移住」は放射能汚染でも無い限りは不可能です。それこそ保障金で国が破綻します。

しかし、日本の財政が危機的な状況になれば、「生活道の整備」というライフラインの維持が出来なくなる、或いは滞る事で、自然に限界集落から人が消えて行きます。

これは避ける事の出来ない未来です。

■ 既に廃墟マニアのスポットになりつつある「市原天津小湊線坂本2号橋」 ■

googleで「市原天津小湊線坂本2号橋」と検索すると、既に廃墟マニアがこの橋を訪れ初めています。「未完のループ橋」という不名誉な呼称で呼ばれ始めている様です。

この橋は多々2021年までには供用が開始されると思われるので、その頃には汚名もそそがれると思いますが、ただ、「車も通らない巨大建造物」の汚名が新たに加わる事になるかも知れません。


人口が減少する日本において、インフラの開発と整備の有り方はどうあるべきか・・・多分、現在の日本の議会制民主主義では解決出来ない問題なのでしょう。

そして、それは必ずや財政破綻によって強制的に解決を余儀なくされる問題なのだと、私は妄想してしまいます。


<お詫び>

本日の記事は地域の振興を願う方々に失礼な内容となってしまいました。豊な自然の郷里を守りたいというのは誰でも抱く望みですが、財政が逼迫する日本では「開発ありき」という従来の方法論は既に破綻しています。

私達にはいったいどんな解決方法が残されているのか・・・「地域活性化」を声高に叫ぶ安倍政権はビジョンを持っている様には思えません。

これからの時代の地域経済はどうあるべきか・・・「財政破綻」という強制力によって、半ば強引に解決を見るのかも知れません。日本人は自ら変化を望みませんが、変化には意外に柔軟に対応する民族です。私は将来をそれ程は悲観はしていませんが、出来る事ならば、「歴史の遺構」がこれ以上は増えない事を望みます。