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「赦し」を許せない人々・・・『聲の形』

2016-09-28 11:38:00 | マンガ
 



『聲の形』 大今良時 講談社 より

■ 何かと比較される『君の名は。』と『聲の形』。 ■

時期をほぼ同じくして公開された大人の鑑賞にも耐えうるアニメ映画として、何かと比較される二作品ですが、私は『聲の形』の方が圧倒的に好きな作品です(原作も含め)。

「それは観終わった後に考えさせられる事が多い」と一点に尽きます。

「SFファンタジー」と「社会性を持った作品」を同列に比較する事自体が無理がある事を承知で言うならば、『君の名は。』は観終わった後に「タイムりープの構造」というSF的ギミックにひたすら思考が集中します。

これが『秒速5cm』や『言の葉に庭』であれば、主人公達の心の葛藤や関係性の変化を色々妄想しながら、しばらく楽しむ事が出来たのですが、『君の名は。』は「入れ替わり」というスペシャルなイベントで主人公達の心が強引に結び付けられてしまっているので、彼らの「関係成立の機微」はすっ飛ばされてしまっています。これは新海監督らしく無い。せめて最後に出会えずに終わっていれば「新海風」としての体裁というかポリシーが保てたのかも知れませんが、大衆のアピールする監督となる為にはハッピーエンドの選択しか無かった。これが今の大衆娯楽映画の限界。

一方、『聲の形』は原作からして「ヒット作品の王道」と対局にる作品ですから、当然映画も大ヒットなど意識しては作られていません。原作7巻で積み上げて来た「人間関係」を2時間の枠でどれだけ分かり易く観客に伝えるかという事に専念しています。だから初めてこの作品に触れた観客も、観終わった後に色々と考えさせられる・・・。

■ 硝子の「赦し」は都合が良すぎる?という当然の反応 ■

『聲の形』を初めて観た人も、原作で読んだ人も、最初に大きな疑問に突き当たります。それは「被害者の少女がなぜ加害者の少年を受け入れたのか」という点。これが、読者(視聴者)がこの物語を受け入れるか、否定するかのカギになります。

普通に考えれば、「イジメを受けた側はイジメタ人間を一生赦す事は有りません!!」。ですから、ここで思考停止してしまった人には、この物語は「障害者をネタにしたお涙頂戴物語」として不愉快な作品のリストに入ります。

一方、「赦し」の理由を色々考えると、この物語は様々な思考のネタを読者(視聴者)に与えてくれます。

■ 硝子は「特殊」な性格の持ち主だから成り立つイレギュラーな物語 ■

「硝子は何故将也を許したのか?」、それは彼女が「特殊な性格」の持ち主だったから。そう言ってしまうと身も蓋も有りませんが・・・これに尽きるかと・・。

根本的には硝子は「自己否定の塊」の様な性格です。それを形成したのは硝子の母親の「イジメに負けない子に育って欲しい」という願望。これは「普通の子に育って欲しい」という願望と同義です。母親は硝子を「普通の子」に育てる為に相当スパルタです。髪を男の子の様に短く切ればイジメられないと言い、さらには、8回も補聴器が紛失するまでは硝子が自分でイジメを解決する事を待っています。(普通の親なら1回で校長室に怒鳴り込みます)

母親の願望とは裏腹に、聴覚障害者が健常者と同じ様に社会が学校で生活する事は根本的に不可能で、彼女が友人の輪に普通の子供として入って行く事は始めから無理があります。

硝子は芯の強い性格らしく、何度失敗しても「友人」になろうと周囲にアプローチし、そして当然の事ながら挫折します。

こんな事を繰り返す内に硝子の心は「自己否定」と「渇望」に引き裂かれていきます。「友達にならなければいけない」という義務感と、「どうせ私には出来ない」という諦めに支配され、表面的なアプローチと裏腹に心は固く閉じてコミュニケーションが取れません。

■ 唯一、硝子が真剣に心をぶつける事が出来たのが将也だった ■

硝子の心が閉じている事を、子供達は敏感にそれを感じ取り、イジメや無視という形で彼女を拒絶しますが、将也だけが彼女に興味を持ち続けた。これを彼女が「救い」と感じる事は絶対に在りませんせんが、その繋がりすらも彼女には大切な物だったのでしょう。

だから、「お前なんか大っ嫌いだ」と敵意をむき出しにする将也に硝子は本気の抵抗を見せる事が出来たのではないでしょうか。それは彼女の人生にあっては数少ない「本音」の行動であり、だからこそ将也は彼女にとって「トラウマ」であると同時に「気になる存在」で在り続けたのでは。

■ 彼女の事を考え続けた将也は、硝子にとって特別の存在 ■

高校3年生になってから、手話を覚えた将也が突然現れます。彼が彼女を気にし続けてくれた事は彼女にとっては驚きであると同時にある種の喜びだったのでは無いか。「関係が続いていた」事が彼女にとってはイジメの辛い記憶に勝る喜びだった・・。

勝手な解釈ですが、「現実的」かと言えば「作者の願望」に近い展開ですが、この最初の「赦し」が無ければ物語自体が成り立たない。

最初は単なる「ストーリーの切っ掛け」として描いたシーンだと思います。しかしこのシーンには作者自身が「不自然さ」を感じていたと思います。ですから7巻に及ぶ原作の執筆の間、「赦し」の理由を考え続けていたのでは無いか。

その試行錯誤に積み重ねが、将也や硝子以外の登場人物にも重要な役割を与え、彼らの造形を深いものにします。

この作品の最大の魅力は、登場人物のみならず、彼らを描くことで原作者自身が成長し続けている事に在る。これは新人作家にだけされた「魔法」のひと時です。

■ 全ての努力を無化してしまった自殺シーン ■

原作の難点を一つ挙げるとするならば、硝子が自殺を選択し将也がこれを助けて命の危機に陥った事。

物語的にはインパクトの有る事件ですが、これまでそれぞれの内面や経験を丁寧に描いて来て、彼らの関係がどう改善されるのかが期待される局面で「リセットボタンが押された」感じがして仕方が無い。これでイジメられていた側とイジメテいた側の罪のギャップがキャンセルされてしまった。この物語で非難されるプロットは、硝子が将也を赦した事では無く、それでも消えない将也の罪を自殺事件が無化してしまった事。

ここら辺が少年誌連載の限界かと感じています。


何れにしても50才のオヤジですら、この作品を読んだ後には色々と考えさせられてしまう。これこそが、素晴らしい作品に求められる条件であるとするならば・・・『君の名は。』は映像表現が美しくとも『聲の形』には勝てない。(個人的にですが)


原作の大ファンでライブのMCで原作1巻のあらすじを全部話しちゃったというAIKOの主題歌がアップされていました。