■ 新型感染症特借法改正はけケツの穴の大きさの問題 ■
自民党が野党と協議を始めた「新型感染症特借法」の改正。
野党は従来の特借法で対応可能と、法律を早期に適用して新型コロナウイルス対策当たる様に政府に要求していましたが、今まで政府は否定的でした。
特借法を適用すると、外出の自粛要請や、コンサートなどの自粛指示、運動施設の閉鎖指示などができる様です。今まで「要請」という相手任せの対応に終始していた政府ですが、一歩踏み込んで「指示」ができるようになります。
何故政府が特借法を今まで適応していなかったと言えば「指示」には「保証」がセットになるから。安倍政権は「要請」によって業務停止やコンサートの自粛の責任を事業者や地方自治体に押し付けて来ました。
小中高等学校の休校も「要請」でした。判断責任は地方自治体に丸投げしていた。しかし子供を持つ親の休業補償の問題がクローズアップされたので、急遽記者会見を開いて補償の実施を約束します。
しかし、この約束に法的根拠が無い。ですから特釈借法を改正し、「2月1日に遡って適用する」事で休校に伴う休業補償に裏付けを与え、ついでに学校休校も同法に基づいた要請とするのでしょう。本来改正など必要無いはずですが、遡って適用する為に改正する必要があると妄想しています。改正の理由は「WHOが既に命名しているウイルスは新型感染症に相当しない」と信じられないものです。
左巻きの方々は「緊急事態宣言」「非常事態宣言」「戒厳令」とエスカレートすると煽っていますが、本質は「法的整合性」を整えたい官僚の思惑と、休校が法に則った政策だったと主張したい首相周辺の思惑が合致しただけ。ケツの穴の小さな話に過ぎない。
■ 原発事故当時、超法規的判断で日本を救った菅直人 ■
ハフィントンポストに福島第一原発事故当時の民主党政権の対応を目のあたりにしていた寺田学首相補佐官の手記が連載されています。かなりのリアリティで、当時の菅首相やその周辺が不眠不休で対応に当たった様が綴られています。
私は一前にも「菅直人が原発事故から日本を救った」と書いて来ましたが、この手記を読んでそれは確信に変わりました。
斑目委員長始め、東電も責任回避から最悪の事態の想定を口にしたがらない所を、管元首相が怒鳴り散らしながらも対策を急がせ、半ば脅迫で言質をとって強引に対策を進める様は壮絶です。
民間企業である東電に政府は命令出来る立場では有りませんが、菅直人は時に法律を踏み越えて東電に様々な要求をします。遠隔で操作出来なくなったベントバルブを人力で開く様に暗に吉田所長に迫ったりもします。高放射線の環境下での作業で死者が出る事も覚悟しての決断です。この決断こそが「政治判断」で法律に縛られる役人にできない事なのです。
安倍制限は自分の身を守る為に「法令違反」を繰り返していますが、当時の民主党政権幹部は国家を守る為にそれを行使した。寺田補佐官が「法的整合性の確認を」と枝野官房長官に進言すると「今はそんな時では無い」と一括されます。
原発から退避をしようとした東電に対し、菅直人は東電本社に乗り込んで「今、原発を放棄して外国に委ねたら日本は国家としての体を失う」「65歳以上の社員総出でも対応に当れ」と一括します。これに対して東電会長は「下請けにやらせます」と応じたと書かれています。
東電本社が「撤退はしない」と決定しても現場が従わずに退避する可能性も高かった。それを予測して菅直人は2度目の現場入りのヘリの準備を指示します。それに対して寺田補佐官は「総理、今度はお一人で行ってください。私たち若者は同行できません。私だって子供の顔を見てみたい」と首相専用車の中で告げますこれに対して菅直人は「そうか若い人は怖いんだな。俺なんか歳だからそれ程怖くないんだけどな」とボソリと呟いたと書かれていなす。実際に1度目の原発訪問の際、原発上空で菅直人のポケットに入っていた放射線計測機はアラートを発したという。
その後も事故は東電や斑目委員長の予測を超えた惨状となって行きますが、4号機への自衛隊ヘリからの注水を境に、
徐々に最悪の自体を脱して行きます。この時、官僚も政治家も一丸となって日本を救う為に奮闘した様は、まさに「シンゴジラ」のシーンを彷彿させます。
「シンゴジラ」では菅直人を彷彿させる首相が責任を負わずに事態を悪化させますが、当時の政権では菅直人が暴走しながらも事態を収束に導いていった様が書かれていて、読んでいて興奮します。
この手記はきちんとした形で書籍化されるべきで、更に映画化もして欲しい。
バルカン政治家として危機に際して強みを発揮する菅直人が当時の首相であった事に日本人は感謝すべきです。これが二世、三世のボンクラ議員ばかりの自民党政権だったらと思うと背筋がつめたくなります。
原発事故当時の記録は当ブログの「福島原発事故」のタグに纏めてあります。今ではネットから消えてしまった当時のデータなども残してあるので、興味のある方はご一読下さい。
特借法からだいぶ逸れてしまいましたが、「政治家の決断」とは何か。「悪事」や「やっているフリ」の尻拭いに奔走する今の官僚達は、当時の出来事をどういう思いで振り返るのか興味があります。もし、当時のことをご存知の方がお読みになられていたら「拍手コメント欄」にこっそり書いて下さい。非公開なのでご心配無く。
自民党が野党と協議を始めた「新型感染症特借法」の改正。
野党は従来の特借法で対応可能と、法律を早期に適用して新型コロナウイルス対策当たる様に政府に要求していましたが、今まで政府は否定的でした。
特借法を適用すると、外出の自粛要請や、コンサートなどの自粛指示、運動施設の閉鎖指示などができる様です。今まで「要請」という相手任せの対応に終始していた政府ですが、一歩踏み込んで「指示」ができるようになります。
何故政府が特借法を今まで適応していなかったと言えば「指示」には「保証」がセットになるから。安倍政権は「要請」によって業務停止やコンサートの自粛の責任を事業者や地方自治体に押し付けて来ました。
小中高等学校の休校も「要請」でした。判断責任は地方自治体に丸投げしていた。しかし子供を持つ親の休業補償の問題がクローズアップされたので、急遽記者会見を開いて補償の実施を約束します。
しかし、この約束に法的根拠が無い。ですから特釈借法を改正し、「2月1日に遡って適用する」事で休校に伴う休業補償に裏付けを与え、ついでに学校休校も同法に基づいた要請とするのでしょう。本来改正など必要無いはずですが、遡って適用する為に改正する必要があると妄想しています。改正の理由は「WHOが既に命名しているウイルスは新型感染症に相当しない」と信じられないものです。
左巻きの方々は「緊急事態宣言」「非常事態宣言」「戒厳令」とエスカレートすると煽っていますが、本質は「法的整合性」を整えたい官僚の思惑と、休校が法に則った政策だったと主張したい首相周辺の思惑が合致しただけ。ケツの穴の小さな話に過ぎない。
■ 原発事故当時、超法規的判断で日本を救った菅直人 ■
ハフィントンポストに福島第一原発事故当時の民主党政権の対応を目のあたりにしていた寺田学首相補佐官の手記が連載されています。かなりのリアリティで、当時の菅首相やその周辺が不眠不休で対応に当たった様が綴られています。
私は一前にも「菅直人が原発事故から日本を救った」と書いて来ましたが、この手記を読んでそれは確信に変わりました。
斑目委員長始め、東電も責任回避から最悪の事態の想定を口にしたがらない所を、管元首相が怒鳴り散らしながらも対策を急がせ、半ば脅迫で言質をとって強引に対策を進める様は壮絶です。
民間企業である東電に政府は命令出来る立場では有りませんが、菅直人は時に法律を踏み越えて東電に様々な要求をします。遠隔で操作出来なくなったベントバルブを人力で開く様に暗に吉田所長に迫ったりもします。高放射線の環境下での作業で死者が出る事も覚悟しての決断です。この決断こそが「政治判断」で法律に縛られる役人にできない事なのです。
安倍制限は自分の身を守る為に「法令違反」を繰り返していますが、当時の民主党政権幹部は国家を守る為にそれを行使した。寺田補佐官が「法的整合性の確認を」と枝野官房長官に進言すると「今はそんな時では無い」と一括されます。
原発から退避をしようとした東電に対し、菅直人は東電本社に乗り込んで「今、原発を放棄して外国に委ねたら日本は国家としての体を失う」「65歳以上の社員総出でも対応に当れ」と一括します。これに対して東電会長は「下請けにやらせます」と応じたと書かれています。
東電本社が「撤退はしない」と決定しても現場が従わずに退避する可能性も高かった。それを予測して菅直人は2度目の現場入りのヘリの準備を指示します。それに対して寺田補佐官は「総理、今度はお一人で行ってください。私たち若者は同行できません。私だって子供の顔を見てみたい」と首相専用車の中で告げますこれに対して菅直人は「そうか若い人は怖いんだな。俺なんか歳だからそれ程怖くないんだけどな」とボソリと呟いたと書かれていなす。実際に1度目の原発訪問の際、原発上空で菅直人のポケットに入っていた放射線計測機はアラートを発したという。
その後も事故は東電や斑目委員長の予測を超えた惨状となって行きますが、4号機への自衛隊ヘリからの注水を境に、
徐々に最悪の自体を脱して行きます。この時、官僚も政治家も一丸となって日本を救う為に奮闘した様は、まさに「シンゴジラ」のシーンを彷彿させます。
「シンゴジラ」では菅直人を彷彿させる首相が責任を負わずに事態を悪化させますが、当時の政権では菅直人が暴走しながらも事態を収束に導いていった様が書かれていて、読んでいて興奮します。
この手記はきちんとした形で書籍化されるべきで、更に映画化もして欲しい。
バルカン政治家として危機に際して強みを発揮する菅直人が当時の首相であった事に日本人は感謝すべきです。これが二世、三世のボンクラ議員ばかりの自民党政権だったらと思うと背筋がつめたくなります。
原発事故当時の記録は当ブログの「福島原発事故」のタグに纏めてあります。今ではネットから消えてしまった当時のデータなども残してあるので、興味のある方はご一読下さい。
特借法からだいぶ逸れてしまいましたが、「政治家の決断」とは何か。「悪事」や「やっているフリ」の尻拭いに奔走する今の官僚達は、当時の出来事をどういう思いで振り返るのか興味があります。もし、当時のことをご存知の方がお読みになられていたら「拍手コメント欄」にこっそり書いて下さい。非公開なのでご心配無く。