「男とか女とかは関係なくて、ただハルちゃんが好きだから」とリコは言うけど、彼女自身がまるで男には興味がないのなら、その言葉は額面通りには受け止められない。彼女が女の子だから好きだ、ということになるし、その言葉にはリアリティーもない。
前半はけっこうおもしろかったのだが、後半はただのレズ映画になってしまって、本来ここにあるはずだった普遍性は損なわれる。もちろん普遍性って、これがただの恋愛映画で . . . 本文を読む
平成の秋葉原を颯爽と行く老嬢。彼女はなんとメイド喫茶に入る。そこでオタクの少年に向けて昔、自分がメイドをしていたときの話を、一方的に語り出す。
林芙美子、吉屋信子、永井荷風にインスパイアされた3編から成る連作長編。この作品の主人公であるすみちゃんというおばあちゃんが語る話自体は興味深いのだが、これが中島京子の小説だと思うと、彼女としてはちょっとつまらない。アイデアは悪くはないし、一気に読ませ . . . 本文を読む
どうして大阪を舞台にしたらこういうコテコテの映画になってしまうのだろうか。「いかにも大阪」というイメージばかりが先行して、まるでリアルではない。まぁ、大阪以外の人がこの映画を見たなら「これこそ自然な大阪の日常風景だ」と、思えるのかもしれないが、なんだかそれって嫌だ。大阪で住む人間にとっては、ここはなんら特別な場所ではない。だが、そんなものは伝わらないし、どうでもいいことなのか。よくわからない。
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映画監督の青山真治が書く小説は、彼の作る映画とはまるでイメージが違う。その落差が面白いといえば、面白いのだが、あまりの違いになんだか不思議な気分になる。
特に彼の小説オリジナルは、映画にはなりそうもないものが多い。今回もそうだ。まぁ、映画向きの素材なら最初から映画にするのだろう。
作品世界が閉じているし、狭い。その狭さの中で呻吟する女たちが描かれる。今回は3人の女たちが主人公だ。3話か . . . 本文を読む
「誰も近づかない不思議な洞窟」なんて、絶対に家の近所にはないです。それに「地底人がいる」なんて噂は、今時子どもでもしません。きっと。
と、いうことで、この芝居は根本的なところからまず勘違いしてる。でも、そのとんでもない勘違いから発想して、ありえない世界に僕たち観客を導くというのは、芝居ならではの戦略かもしれない。
作、演出の永富義人さんはこの芝居のバカバカしさなんて、十分承知の上でこの作 . . . 本文を読む
3D映画が濫造されて、もうなんの有難味もない。どちらかというと、飽きた。それに目が疲れるのはよくない。別に映画は飛び出さなくてもいい。視覚効果は2Dでも充分堪能できる。偏光メガネによる目の錯覚でしか得られないマジックなんて、退屈なばかりだ。
ということで、今回は2D字幕版で見ることにした。これでも充分に迫力があった。こういうスペクタクル・アクション活劇は3D云々ではなくどれだけ大きなスクリー . . . 本文を読む
なんだか、どうしようもなく今回のしんちゃんを見たくなってしまった。「白いウエディングドレスの女性の後ろ姿。彼女に手を引かれ、傷だらけのしんちゃんが振り向く。手には花束を持ちながら。」なんともそそられるポスターではないか、と思った。いつものゴテゴテしたポスターなら、気にも留めないところだが、この白地で余白だらけのシンプルなポスター(チラシ)に誘われて、なんと、10年ぶりくらいで劇場まで『しんちゃん . . . 本文を読む
この春一番見たかった映画だ。ほんとうなら公開前に見に行くはずだったのだが、試写の日に他の幼児は入り行けなかった。4月10日の公開後すぐに行こうと思ったのだが、なかなか予定が合わず、結局ギリギリになってしまった。なんとか間に合ってよかった。
予告編は衝撃的だった。なんと斬新なアイデアなのか、と感心した。期待が大きすぎたらきっとがっかりも大きいというのがいつものパターンなのだが、今回もまた、その . . . 本文を読む
衝撃的な1作である。これは「倉島泉」という誰も知らない市井の女性の生涯をドキュメントしたノンフィクション、というスタイルで綴られた小説だ。
様々な人々の記憶と、証言から構成したドキュメントの中で、語られたこの「泉ちゃん」という不思議な女性はなんだかもどかしい。本人の1人称ではないから、ここで綴られた物語はいささか事実とは異なるはずだ。だが、たぶん、本人はここに描かれた物語に一切クレームをつけ . . . 本文を読む
短編連作のスタイルを成しているようだが、これは長編小説だろう。9編の短編は完全につながる。生まれた家を処分するために帰省した65歳の女性がたったひとりで過ごす故郷での日々のスケッチだ。
もう誰も住まない古い大きな家。そこで、家の整理をしながら過ごす日々。都会からこの村に戻ってきて、高原で過ごす孤独な時間。彼女はすぐに夢を見る。現実と妄想の境目もやがては曖昧なものとなる。時間に沿って話は進む。 . . . 本文を読む
これはちょっと大胆に言うと、『サザエさん』のリアル・シリアス・バージョンだ。今もわずかにだが残っていたかつての日本の大家族が、崩壊していく最後の瞬間を、とある家を舞台にして描いていく。縁側があり、近所の人たちが自由にそこにやってきて、特別な用もないのにお茶すすりながら世間話をしていく。中庭には古い井戸があり、その向かいには離れがある。ここは典型的な昔の古い家だ。
井戸水は、今も汲み出すことが . . . 本文を読む
長く芝居を見ているけど、関西の老舗劇団である関西芸術座の芝居を見るのはたぶん初めてのことだ、と思うのだが、もしかしたら20年くらい前になら見た気もする。というか、何回かは見ているはずなのだが、記憶にはない。関芸のスタジオにも、工芸高校で働いていたとき、仕事の帰りに一度行った気がする。それってやはり、もう20年近く前の話だ。
どうでもいいことを書いてしまった。これだけ書いたら、ついでにもう少し . . . 本文を読む
短編連作である。死をテーマにする。死んでいく、死んでいることが、どう周囲の人たちを巻き込み、そして、自分自身にとってどんな意味を持ちうるのかを、それぞれの作品がいろんな角度から考察する。決してつまらない小説というわけではない。読み物としてはとてもよく出来ている。一気に読ませる力がある。だが、それだけなのだ。これでは僕には物足りない。
三浦しをんほどの作家なら、こんな次元の作業に終始するべきで . . . 本文を読む
『世界』『長江哀歌』のジャ・ジャンクー監督最新作である。この作品は昨年の四月に劇場公開された。本当ならその時にすぐ見るべきだったのだが、例によって簡単に公開が終了し、見ることは叶わなかった。待つこと1年、ようやくDVDになり、ついに対面となる。
四川省・成都にある巨大国営工場が閉鎖される。閉鎖直前の風景が描かれる。ここで働く人たち、その家族。たくさんの人々の想いを秘めて取り壊されていく。そし . . . 本文を読む
今、この40年近くも前に描かれた革命についての物語を、山本篤先生が、金蘭座とその子供たちである金蘭会高校演劇部を率いてリメイクすることの意義は、もう今さら問うまでもない。山本先生の拘りは変わらない。
だが、この山本先生の変わることのない情熱は一歩間違えば、『地獄の黙示録』のカーツ大佐と重なってしまう。(まぁ、それは、半分冗談なのだが)何も知らない周囲の人たちは、彼を裸の王様のように受け止める . . . 本文を読む