◎カウフマン(Vn)ゲール指揮ルツェルン祝祭管弦楽団(ミュージカル・マスターピース交響楽団)(MUSIC&ARTS/MMS)1951・CD
だんぜんレコードのほうが音がいい。◎にしたのは改めてLPで聴いてカウフマンの生めかしい音色に聴き惚れたからだ。前の時代の演奏様式(主としてボウイングとヴィブラートと微妙な音程操作、アーティキュレーションの付けかたにあらわれる)というのはロマンティックな曲想を最大限に生かすようにできているのであり、ロマン派回帰をうたったかのようなこの作品においてただ冷徹に音だけを表現するのは曲の価値自体を損ねることになりかねない。きわめて叙情的な旋律と流れよく効率のいい構成によって現代のロマン派協奏曲というものを(いくぶん古風になりすぎるところは新古典派の影響だろうが)表現しきっている。ウォルトンの作品とよく似た響きや構造的な部分があり(更に元ネタとなっているプロコの1番のほうを思い浮かべる向きのほうが多いだろうが)、3楽章などは尊敬していたヴォーン・ウィリアムズの「コンチェルト・アカデミコ」終楽章の世界を換骨奪胎したものとも思える。同時代性というのもあるのだろう。そしてカウフマンもまた「同時代の演奏家」なのである。しかも戦後モノラル期の演奏家というのは前時代の艶と現代の技術の共に兼ね備えた超人的な技巧家が多いわけで、カウフマンはその中でも非常にバランスのとれた技巧家であり、オイストラフの安定感とシゲティの表現性にフランチェスカッティの美音(あれは完全に奏法の勝利であり解釈の勝利ではあるが、音はよく似ている)がのったような演奏を時折していたようで、これはその範疇にある。つまりは、名演。よくわからない曲、という印象はきっと、こういうのめりこむような演奏に出会えていないということだと思います。
※2007-01-16 09:44:41の記事です
だんぜんレコードのほうが音がいい。◎にしたのは改めてLPで聴いてカウフマンの生めかしい音色に聴き惚れたからだ。前の時代の演奏様式(主としてボウイングとヴィブラートと微妙な音程操作、アーティキュレーションの付けかたにあらわれる)というのはロマンティックな曲想を最大限に生かすようにできているのであり、ロマン派回帰をうたったかのようなこの作品においてただ冷徹に音だけを表現するのは曲の価値自体を損ねることになりかねない。きわめて叙情的な旋律と流れよく効率のいい構成によって現代のロマン派協奏曲というものを(いくぶん古風になりすぎるところは新古典派の影響だろうが)表現しきっている。ウォルトンの作品とよく似た響きや構造的な部分があり(更に元ネタとなっているプロコの1番のほうを思い浮かべる向きのほうが多いだろうが)、3楽章などは尊敬していたヴォーン・ウィリアムズの「コンチェルト・アカデミコ」終楽章の世界を換骨奪胎したものとも思える。同時代性というのもあるのだろう。そしてカウフマンもまた「同時代の演奏家」なのである。しかも戦後モノラル期の演奏家というのは前時代の艶と現代の技術の共に兼ね備えた超人的な技巧家が多いわけで、カウフマンはその中でも非常にバランスのとれた技巧家であり、オイストラフの安定感とシゲティの表現性にフランチェスカッティの美音(あれは完全に奏法の勝利であり解釈の勝利ではあるが、音はよく似ている)がのったような演奏を時折していたようで、これはその範疇にある。つまりは、名演。よくわからない曲、という印象はきっと、こういうのめりこむような演奏に出会えていないということだと思います。
※2007-01-16 09:44:41の記事です