湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ(遺作)

2016年09月12日 | ラヴェル
ギドン・クレーメル(Vn)エレーナ・クレーメル(P)(PHILIPS)1980版・CD

西側デビューから数年の新進気鋭のころに録音されたフランス秘曲集から。クレーメルは日本人には馴染み深い当代瑞逸のヴァイオリニストの一人で稀代のテクニシャンで知られるが、奏法に特徴はあるもののこのころの音色は決して往年の大ヴァイオリニストのような特徴あるもの(たとえば師匠のD.オイストラフのようにふくよかでボリュームのある音)ではなく変化に乏しいところがあり、音楽で聞かせるのではなくテクニックと楽譜読みで聞かせるだけの感もある。ガルネリの音色ということもあろうが金属質な感じもある。ただ、フランス近現代の厳密な音程感(和声感)と透明感を要求する楽曲には向いているとは言える。硬質で内容的に静謐な音楽に向いているから、アナログ盤よりデジタル盤に向く(この盤は「ヴァイオリン・リサイタル」の名で一度だけCD化しているが、私はLPしか持ってません)。これは同曲の初録音である。ロッケンハウスで現代楽曲の啓発に取り組む前のクレーメルの姿勢をよく示した選曲である。

1897年パリ音楽院時代(22歳)の習作だが、はっきり言ってラヴェルはこの曲を発掘してほしくなかったに違いない。初めから非常に大胆(というか無茶)な和声的書法をとっているが、内容的にはフランクの延長上にあり、あきらかにディーリアスの模倣である。ドビュッシーの習作ピアノ三重奏曲(18歳の作品)と比べても全く魅力を感じない。この曲を久しぶりに聞いたが(譜面は見て全く興味が湧かなかったので入手してません)、執拗なぎごちない転調にぱっとしない旋律(バスクの民族色を意識している感じだけはする)、半音階的な経過句など、聞いていて「これはあの時代にドビュッシーの影響を受けたロマン派の無名作曲家のものだよ」と言われれば納得しそれなりに聞けると評することもできようが、とにかく自己の評価されていない室内楽作品と比べても更に格段に落ちる。クレーメルもロマン派ふうに弾けばいいものを「ラヴェルとして弾いてしまっている」。エレーナ(D.バシュキーロフ先生の娘さん(バシュキロ-ワ)でクレーメルのロシア時代からの夫人、不倫の末バレンボイムと結ばれたのはアルゲリッチ絡みでよく知られた話ですね)のピアノはそつのない繊細なものでフランスもののピアニストとしては適性があると思う。同窓エネスコが初演したまま譜面紛失、75年再発見と共に出版された。
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