つれづれなるままに  1164 たとえ認知症になっても感性はあるのです

2010-10-19 20:09:50 | 雑記
UHB大学文化祭を見て、午後から講演会に出席、今日の題は「介護保険・ケアマネフォーラム」あるグループホームの施設長さんのお話でした。
介護の体験から多くの事を学び認知症の患者としてではなく、一人の個性ある人間として接する、人をケアする理由はただ一つ、人間を愛しているからできるのですと。

皆さんは「認知症」を本当にご存知ですか。との問から始まりました。人ごとではなく、今一度一緒に考えてみませんか。
例え認知症があっても、感情・感性、悲しみ、怒り、羨望、不安、愛は最後まで、そこにあるのです。こんな詩を詠まれました。

   目を開けて、もっと私を見て! 
 
イギリス ヨークシャーアシュルディー病院の老人病棟で起きた奇跡
ある日、一人の老婦人が亡くなりました。
彼女の持ち物を調べていた看護婦さんが、彼女の遺品の中から彼女が書いたと思われる詩を見つけました。

何が見えるの、看護婦さん、あなたには何がみえるの
あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく
目はうつろにさまよわせて
食べものをぼろぼろこぼし 返事もしない
あなたが大声で「お願いだからやって見て」と言っても
あなたのしていることに気づかないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる
おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている
長い1日を埋める為にお風呂を使ったり食事をしたり
これがあなたの考えている事、あなたが見ていることではありませんか
でも目を開けてごらんなさい、看護婦さんあなたは私を見てはいないのですよ
私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が
あなたの命ずるまま起き上がるこの私が誰なのか

私は10歳の少女でした。父がいて、母がいて、兄弟姉妹がいて、皆お互いに愛し合っていました。
16歳の少女は足に羽根をつけてもうすぐ恋人に会える事を夢見ていました。
20歳でもう花嫁、私の心は躍っていました。守ると約束した誓いを胸に刻んで
25歳で私は子供を産みました。その子は私に安全で幸福な家庭を求めたの
30歳、子供はみるみる大きくなる、永遠に続くはずのきずなで母子はお互いに結ばれて
40歳、息子達は成長し、行ってしまった。でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってました
50歳、もう1度赤ん坊が膝の上で遊びました。私の愛する夫と私は再び子供に会ったのです


暗い日々が訪れました。夫が死んだのです
先のことを考えー不安で震えました
息子たちはみな自分の子供を育てている最中でしたから
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました

私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です
老人をまるで馬鹿のように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
からだはぼろぼろ、優美さも気力も失せ、
かつて心があったところにはいまは石ころがあるだけ
でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心をふくらます
私は喜びを思い出し、苦しみも思い出す
年月はあまりにも短すぎ、あまりにも早すぎてしまったと私は思うの
そして何物も永遠ではないと厳しい現実を受け入れるのです

だから目を開けてよ、看護婦さん・・・・・目を開けて見てください
気むずかしいおばあさんではなく、[私」をみて!

ビデオから流れてくる、この詩を聞きながら何故か涙が止め処もなく・・
彼女の生きる姿から、自分の人生と絡み合わせ、人を思いやる人生を送る事ができるのだろうかと・・心満たされる2時間の講演でした。