つれづれなるままに   4170   鹿児島編

2022-03-13 10:00:00 | 旅行

標高1400m級の山が連なる霧島は豊富な湯が沸く温泉峡、高原の地形を生かしたミュージアムなど、見る所が沢山ありましたが、今日は目的地、知覧まで行かねばなりません。高速を飛ばしても2時間近くかかるようで、今夜の宿は薩摩の手塚旅館まで戻ってこなければなりません、霧島観光は止めて九州自動車道を南下して知覧まで。

高速から桜島の眺めです。今も生きてる火山、南岳、北岳の2つの主峰からなる複合火山、今も天高く噴煙を上げています。

2020年には年間432回の噴火、多い時には年1000回以上も噴火したそうです。

知覧特攻平和会館

太平洋戦争末期に特攻隊の出撃基地がおかれた場所です。会館には爆走した戦闘機で出撃して特攻戦死した、陸軍特攻隊員の遺書などが展示されていました。

海軍零式艦上戦闘機、海中で発見されたそのままの姿だそうです。

知覧では、最南端の特攻基地として、年齢は17歳から32歳、平均年齢21.6ヶ月の若者が439名も戦士しました。爆弾もろとも敵艦に突っ込む「神風特攻隊」を考えだされ、知覧基地のみならず、日本は特攻をやめず多くの英霊が散りました。知覧が特攻隊の出撃基地であったことから、沖縄戦の特攻作戦で戦死された隊員の当時の遺品、記録が展示されていました。

知覧は1941年、大刀和洗陸軍飛行学校として、少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官などが訓練する場所でしたが、戦場が悪化1945年、皆若くして出撃していきました。

1941年私が生まれた年です。この年の12月、真珠湾攻撃、戦況はますます険悪となりました。

ビデオを見ながら心が痛みました。

 

特攻隊を祀る石灯篭が建ち並び沖縄戦で散華された1,036柱の御零をお祀りしています。

薩摩の小京都ともいわれる知覧武家屋敷庭園も観光の一つとされています。

江戸時代に薩摩藩の外城が置かれ、島津久峰の時代に作られた武家屋敷群が残されています。

屏風岩、沖縄の屏風に当たるもので中がのぞけないようになっています。

中は、枯山水の庭園

江戸時代後期の作庭で、南東部に枯れ滝の石組みを設け、高い峰を表現しています。

外から見る木々の壁・・剪定が見事。

二ッ家民家・・鹿児島独自の建築様式だそうです。

武家屋敷をそのまま活用した食事処・・ここではお蕎麦を頂きました。

武家屋敷の周りはお濠の川の流れ、鯉が泳いで、観光客を楽しませています。餌をあげました。

多くの観光客が餌をやるのでしょうか。あまり食いついてはくれませんでした。

知覧から今度は北上・・途中・・ツルが・ツル飛来地との看板、早速車を止めて

出水地区ツルは、ナベズル、マナズルなどで、10月中旬から2月末頃まで越冬のためにシベリヤや中国から来るもので、この時期出水平野では約1万羽近いツルがやって来るそうです。

数としては世界一のツルの飛来地だそうです。

昨年11月は、1万6840羽飛来したそうです。

旅立つ前の腹ごしらえでしょうか。見ることが出来て最高でした。

今日のお宿は、薩摩郡薩摩町、手塚RYOKAN、カーナビでもなかなか見つかりません。行ったり来たりと、近くの方に訪ねました。そこですよ。と・・・静かな木立に囲まれた、閑静な場所、二階建ての部屋数も少ない宿でした。ここには自然と安らぎに満ちた、今までとは少し違う時間を楽しみました。