昨年、庭に突然自生しはじめた木。
その後もすくすくと育ち、ついに家の塀の高さを越えた。
幹も太く、色も濃くなり、おそらく、たぶん、この木の
正体が「桜」だということは、植物に疎い僕でも分かる
ほどになった。
今、庭の木の葉は、すっかり落ちて、細長い枝だけを
空に向けて突き刺している。
そんな丸裸の木を眺めていると、ただでさえ厳冬の寒い空気が、
一層寒く感じる。
しかしその枝の1本1本をよく見てみると、小さな、本当に
小さな「蕾」が・・・・。
この蕾が膨らみ、開花するのは、まだまだ先のことだ。
でも庭の木は、いつかやってくるその日を信じて、小さな蕾を
その枝にこっそりと用意している。
冬木(とうぼく)。
そんな言葉が、実際に在るのかどうか知らないが、そんな言葉が
思い浮かんだ。
樹木が一番美しいのは、暖かい春の到来を信じて、幹と枝だけで
ひたすら寒風に耐えている冬だ・・・そんな言葉を聞いたことがある。
僕も、今は冬木の時なのかもしれない。
庭の木を眺めていると、ふと、そう思えてきた。
そうであって欲しい。
いや、きっとそうなのだ。
きっと、春は来る。
その後もすくすくと育ち、ついに家の塀の高さを越えた。
幹も太く、色も濃くなり、おそらく、たぶん、この木の
正体が「桜」だということは、植物に疎い僕でも分かる
ほどになった。
今、庭の木の葉は、すっかり落ちて、細長い枝だけを
空に向けて突き刺している。
そんな丸裸の木を眺めていると、ただでさえ厳冬の寒い空気が、
一層寒く感じる。
しかしその枝の1本1本をよく見てみると、小さな、本当に
小さな「蕾」が・・・・。
この蕾が膨らみ、開花するのは、まだまだ先のことだ。
でも庭の木は、いつかやってくるその日を信じて、小さな蕾を
その枝にこっそりと用意している。
冬木(とうぼく)。
そんな言葉が、実際に在るのかどうか知らないが、そんな言葉が
思い浮かんだ。
樹木が一番美しいのは、暖かい春の到来を信じて、幹と枝だけで
ひたすら寒風に耐えている冬だ・・・そんな言葉を聞いたことがある。
僕も、今は冬木の時なのかもしれない。
庭の木を眺めていると、ふと、そう思えてきた。
そうであって欲しい。
いや、きっとそうなのだ。
きっと、春は来る。