りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

爆弾。

2011-01-31 | Weblog
友達のお父様が亡くなった。
遠い町で暮らす友達だけど、以前から容態が芳しくないことは
おぼろげに教えてもらっていた。
友達は、父親とは、あまり上手くいってなかったという。
むしろ、嫌いだったという。
しかし亡くなられて、お父様の部屋を片付けているうちに、
少しずつその気持ちが中和されはじめたと言っていた。

別の友達は、お父様の十三回忌を迎えた。
この友達も、お父様とは不仲だったそうだ。
詳しくは知らないが、親子の間で色々とあったらしい。
そのおかげで今もその負のジレンマを抱えて生活している、という。

先週、日記にも書いたが、高校時代の友人たちと後厄祓いに行った。

お祓いの後、みんなで食事をした。
高校時代は毎日顔を会わせていたが、今では同じ町に暮らしていても、
年に1度会えるか会えないかという連中ばかり。
口からこぼれる話題は、昔の懐かしい思い出話が大半だったが、
少しずつそういうネタも枯渇しはじめると、今の自分たちの話になった。

高校を卒業して、23年。
みんな、それぞれの人生を築いていた。

家庭が壊れた友人がいる。
一度壊れて、再び家族を築いた友人がいる。
理不尽な理由で膨大な借金を抱えた友人がいる。
なかなか子どもが出来ずに、数百万円をかけて子どもを授かろうとしている友人がいる。
自分の経営する会社のために、毎日が生き残るための戦争のような友人がいる。


みんな、爆弾を抱えている。


それは、各々が真正面から喜怒哀楽と対峙しながら生きてきた証拠なのだろう。
みんな、伊達に40年生きてきたわけじゃないのだ。
爆弾のひとつやふたつ持っていない方がおかしい。

その一方で、世の中には、爆弾を持たずに生きている人もいるだろう。
それはそれで幸せなことなのかもしれない。
でもそういう人は、おそらく想像を絶するような異常にタフな人か、
もしくは何も考えることができない人か、そのどちらかだと思う。
そういう人とは、申し訳ないが、僕は話なんて出来ないような気がする。
愛想笑いをするのが精一杯だ。

爆弾を持っているからこそ、人は人とつながることができるのではないだろうか。
爆弾があるからこそ、人は人生の営みの緊張と緩和を知るのではないだろうか。
そしてそれを知った人だけが、自分の前後左右上下を冷静に温かい目で見たり
接したりできるような気がする。

そういう人たちからは、啓発を受ける。刺激を受ける。影響を受ける。
そんな人たちが自分の周りにいることを、僕は幸せに思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする