以前からこのブログにも書いていたように、昨年末からあまり良いことが起こらなかった。
もちろん、今までもアンラッキーなことは数え切れないほど経験してきた。しかしその都度、
それらをクリアしてきたし、だからこそ今の僕が存在していると言っても過言ではない。
つきつめれば、そもそもこの世に生まれたこと自体がアンラッキーを爆弾のように抱えて
母親の胎内から飛び出して来たようなものだ・・・というところまで行くと、哲学や宗教
の話にまで飛躍してしまうので、それ以上は書かない(笑)
兎にも角にも、昨秋から年末にかけて。
本当にアンラッキーなことが起こり過ぎて、いつもならば、ひとつずつクリアするなり
スルーしてきた僕でも、さすがに今回は自分のキャパシティーを超えてしまった。
酒の席などで、勢いにまかせてそんな愚痴を他人に話すこともあった。しかし、だいたい
皆、異口同音に
「誰にでもあるよ」とか、
「厄年だから」とか、
「死ななかっただけ、マシじゃん」とか、
人によっては、「俺は同じその年に、癌になったよ」と言って、流してしまう。
さすがに「癌」を例えに出された時は、無口になって愛想笑いをすることしかできなかったが、
それ以外は、頭で理解できても心は共感できないままでいた。
そうなると、人間はどうなるか。
弱くなるのである。
では、弱くなると、どうなるか。
神仏に頼るのである。
年末年始の僕は、きっと世界中で最も信心深い人間だったはずだ。
年の瀬の12月29日に地元の八幡神社に参拝し、大晦日は地区の天神様の境内を大掃除した。
明けて、元旦。初詣に再び八幡神社へ。年を跨いだと言えど、こんなに短いスパンで神社に
参拝したのは、生まれ初めてのような気がする。もちろん、おみくじをひいた。当然、大吉
である。大吉でないと困る(笑)
正月の2日には、父方の曾祖父、父方&母方&妻の父方の祖父母、叔父の墓に片っ端から参った。
その甲斐があったのか、1月も半月が過ぎたが、比較的体調は良好だ。
肉体も精神も、安定している。
そうそう、ひとつ、大切なことを忘れていた。
僕は右手の中指にシルバーリングをつけているのだが、昨年の11月に新しいリングを購入して、
それを付けた。
今、考えればそれが分水嶺だったかのように、それ以降アンラッキーなことが起きはじめた。
こう書くと、また上述したようなことを他人から言われてしまいそうだが、世界一の信心人間
には、そうとは思えないのである。
だから、昨年末、新しいリングを外して、以前のリングに戻した。
そしたら、どうだ。
肉体も精神も安定している。妊婦の安定期にも負けないくらい安定している。
以前のリングは10年近く、右手の中指に収まっていたので、擦れて傷だらけになって、お世辞
にもオシャレなリングとは言えない。
でも、僕が所有しているリングの中で、最も指にしっくりくる。
何よりも、おちつく。
一度外したからこそ、分かることもあるのだ。
こういうことを、げん担ぎというのだろうか。
それとも、長年はめ続けて、自分の身体の一部のようになったリングには、心理学的にも何かしら
の作用を起こす科学的根拠があるのかもしれない。
どちらにしても、しばらくは・・・いや、もう他のリングは右手の中指にははめないだろう。
心身がこの調子で推移するのならば。
もちろん、今までもアンラッキーなことは数え切れないほど経験してきた。しかしその都度、
それらをクリアしてきたし、だからこそ今の僕が存在していると言っても過言ではない。
つきつめれば、そもそもこの世に生まれたこと自体がアンラッキーを爆弾のように抱えて
母親の胎内から飛び出して来たようなものだ・・・というところまで行くと、哲学や宗教
の話にまで飛躍してしまうので、それ以上は書かない(笑)
兎にも角にも、昨秋から年末にかけて。
本当にアンラッキーなことが起こり過ぎて、いつもならば、ひとつずつクリアするなり
スルーしてきた僕でも、さすがに今回は自分のキャパシティーを超えてしまった。
酒の席などで、勢いにまかせてそんな愚痴を他人に話すこともあった。しかし、だいたい
皆、異口同音に
「誰にでもあるよ」とか、
「厄年だから」とか、
「死ななかっただけ、マシじゃん」とか、
人によっては、「俺は同じその年に、癌になったよ」と言って、流してしまう。
さすがに「癌」を例えに出された時は、無口になって愛想笑いをすることしかできなかったが、
それ以外は、頭で理解できても心は共感できないままでいた。
そうなると、人間はどうなるか。
弱くなるのである。
では、弱くなると、どうなるか。
神仏に頼るのである。
年末年始の僕は、きっと世界中で最も信心深い人間だったはずだ。
年の瀬の12月29日に地元の八幡神社に参拝し、大晦日は地区の天神様の境内を大掃除した。
明けて、元旦。初詣に再び八幡神社へ。年を跨いだと言えど、こんなに短いスパンで神社に
参拝したのは、生まれ初めてのような気がする。もちろん、おみくじをひいた。当然、大吉
である。大吉でないと困る(笑)
正月の2日には、父方の曾祖父、父方&母方&妻の父方の祖父母、叔父の墓に片っ端から参った。
その甲斐があったのか、1月も半月が過ぎたが、比較的体調は良好だ。
肉体も精神も、安定している。
そうそう、ひとつ、大切なことを忘れていた。
僕は右手の中指にシルバーリングをつけているのだが、昨年の11月に新しいリングを購入して、
それを付けた。
今、考えればそれが分水嶺だったかのように、それ以降アンラッキーなことが起きはじめた。
こう書くと、また上述したようなことを他人から言われてしまいそうだが、世界一の信心人間
には、そうとは思えないのである。
だから、昨年末、新しいリングを外して、以前のリングに戻した。
そしたら、どうだ。
肉体も精神も安定している。妊婦の安定期にも負けないくらい安定している。
以前のリングは10年近く、右手の中指に収まっていたので、擦れて傷だらけになって、お世辞
にもオシャレなリングとは言えない。
でも、僕が所有しているリングの中で、最も指にしっくりくる。
何よりも、おちつく。
一度外したからこそ、分かることもあるのだ。
こういうことを、げん担ぎというのだろうか。
それとも、長年はめ続けて、自分の身体の一部のようになったリングには、心理学的にも何かしら
の作用を起こす科学的根拠があるのかもしれない。
どちらにしても、しばらくは・・・いや、もう他のリングは右手の中指にははめないだろう。
心身がこの調子で推移するのならば。