りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

げん担ぎ。

2011-01-19 | Weblog
以前からこのブログにも書いていたように、昨年末からあまり良いことが起こらなかった。

もちろん、今までもアンラッキーなことは数え切れないほど経験してきた。しかしその都度、
それらをクリアしてきたし、だからこそ今の僕が存在していると言っても過言ではない。
つきつめれば、そもそもこの世に生まれたこと自体がアンラッキーを爆弾のように抱えて
母親の胎内から飛び出して来たようなものだ・・・というところまで行くと、哲学や宗教
の話にまで飛躍してしまうので、それ以上は書かない(笑)

兎にも角にも、昨秋から年末にかけて。

本当にアンラッキーなことが起こり過ぎて、いつもならば、ひとつずつクリアするなり
スルーしてきた僕でも、さすがに今回は自分のキャパシティーを超えてしまった。

酒の席などで、勢いにまかせてそんな愚痴を他人に話すこともあった。しかし、だいたい
皆、異口同音に
「誰にでもあるよ」とか、
「厄年だから」とか、
「死ななかっただけ、マシじゃん」とか、
人によっては、「俺は同じその年に、癌になったよ」と言って、流してしまう。
さすがに「癌」を例えに出された時は、無口になって愛想笑いをすることしかできなかったが、
それ以外は、頭で理解できても心は共感できないままでいた。

そうなると、人間はどうなるか。

弱くなるのである。

では、弱くなると、どうなるか。

神仏に頼るのである。

年末年始の僕は、きっと世界中で最も信心深い人間だったはずだ。
年の瀬の12月29日に地元の八幡神社に参拝し、大晦日は地区の天神様の境内を大掃除した。
明けて、元旦。初詣に再び八幡神社へ。年を跨いだと言えど、こんなに短いスパンで神社に
参拝したのは、生まれ初めてのような気がする。もちろん、おみくじをひいた。当然、大吉
である。大吉でないと困る(笑)
正月の2日には、父方の曾祖父、父方&母方&妻の父方の祖父母、叔父の墓に片っ端から参った。

その甲斐があったのか、1月も半月が過ぎたが、比較的体調は良好だ。
肉体も精神も、安定している。

そうそう、ひとつ、大切なことを忘れていた。

僕は右手の中指にシルバーリングをつけているのだが、昨年の11月に新しいリングを購入して、
それを付けた。
今、考えればそれが分水嶺だったかのように、それ以降アンラッキーなことが起きはじめた。
こう書くと、また上述したようなことを他人から言われてしまいそうだが、世界一の信心人間
には、そうとは思えないのである。
だから、昨年末、新しいリングを外して、以前のリングに戻した。

そしたら、どうだ。
肉体も精神も安定している。妊婦の安定期にも負けないくらい安定している。

以前のリングは10年近く、右手の中指に収まっていたので、擦れて傷だらけになって、お世辞
にもオシャレなリングとは言えない。
でも、僕が所有しているリングの中で、最も指にしっくりくる。
何よりも、おちつく。
一度外したからこそ、分かることもあるのだ。

こういうことを、げん担ぎというのだろうか。
それとも、長年はめ続けて、自分の身体の一部のようになったリングには、心理学的にも何かしら
の作用を起こす科学的根拠があるのかもしれない。

どちらにしても、しばらくは・・・いや、もう他のリングは右手の中指にははめないだろう。
心身がこの調子で推移するのならば。
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