りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

お江戸。

2012-01-20 | Weblog
写真は、この前、市立図書館で借りた本。

おもいっきり♪DeAGOSTINI♪ですが(笑)
最近の図書館は、こんな本も貸し出しをしているんだねぇ。

借りたのは「江戸」シリーズの1巻~4巻。
時代としては、徳川家康が江戸に入り、江戸が寒村から日本有数の城下町
へと変貌をとげるあたり。

昨年の夏に上京した際、久しぶりに渋谷や原宿をブラブラした。
20代の独身の時以来だったから、それなりに大人になってからは初めての
散策だった。
今回、大人の視線で渋谷や原宿を冷静に眺めて、思った。

あの街は、おかしい(笑)。

どうして、あんな急勾配の土地にどでかい繁華街が生まれたのか?
渋谷駅や駅前のスクランブル交差点は別としても、そこから伸びる道玄坂や
公園通りなどは、ことごとく坂道。
原宿にしても、駅前の竹下口は上り坂(下り坂でもある)だし、子どもたち
でひしめく竹下通りは、駅からいきなりガクンと下がる、これまた坂道だ。

東京は、日本一の面積を誇る関東平野に抱かれた大都市なわけで。
せっかくとてつもなくだだっ広い平野がありながら、なぜ、よりによって
あんな歪な場所に日本有数の繁華街が存在するのか。

ちなみに僕が生まれ育った広島県はおそろしく平野が少ない。
しかし県内の都市、広島市も呉市も尾道市も福山市も、繁華街はすべて狭い
平地に存在する。そして土地が足りなくなったら眼前の海を埋め立てて平地
を広げ、そこに新たな繁華街を造る。そうやって広島県の街は成長してきた。
だから、なおさら僕には東京の街の成り立ちが、今ひとつ理解できず、本当
に不思議だった。

だから今回、この本を手に取ってみたんです。

すると、少しずつ分かりはじめた。
東京(江戸)は、元々、湿地と入り江が入り組んで、しかも武蔵野台地が
海に迫る場所・・・ということは、頭では知っていたけど、その開拓の歴
史が分かりはじめると、“ははぁ~ん・・・なるほどなぁ~”と。

たとえば渋谷は、元々、渋谷川という川があってその川沿いに街が広がったとか、
(そういえば渋谷駅の周辺は川底っぽいし、街全体もすり鉢のようだ)
江戸湾の埋め立ては、神田の山やお掘の掘削で出た土砂で埋め立てたとか・・・。

つまり東京は、とてつもない人海戦術で作られた、ある意味人工都市なんだな。

そういえば、夕べの「ブラタモリ」では、国分寺を特集してたけど、ずいぶん
前の放送では渋谷や荒川の特集をしていた。
うんうん、たしか上述したようなことも放送していた。

ん、ブラタモリ?

・・・あ、またキョンキョンのドラマ、見忘れた・・・onz
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中学校見学会。

2012-01-19 | Weblog
もうすぐ小学校を卒業する娘が、昨日、春から進学する中学校へ見学会に行った。

数日前にそのことを娘から聞いてはいたが、「へぇ、最近はそんなイベント(?)があるのか」
というのが率直な印象だった。
見学会は、町内の小学校(3校)合同で小学6年生全員参加で行われたそうだ。
つまり、小中学校の正式な行事なわけだ。

中学に到着すると、校長先生をはじめ教師のみなさんと生徒会執行部の生徒が迎えてくれたそうで、
授業や校内の施設、部活、規則などの説明を受けつつ、校内をまわったそうだ。

同じ義務教育といえども、小学校と中学校は生活が大きく変わる。
どうも娘はそのことを少なからず不安に思っていたらしい。
だから今回の見学会で、その不安の種はかなり払拭されたようだった。

当たり前だが、僕らが小中学生の頃は、そんな行事なんてなかった。

当時の僕も、娘と同じように、少なからず春からはじまる中学生活に不安を抱いていた。
そしてそれは僕だけの不安ではなく、同級生みんなが一様に共有している不安だった。
しかしそれを払拭するような方法はまったくないのだから、共有した不安は増殖してゆく一方だった。
そうなると、どうなるか?

奇妙な噂が流布しはじめるのだ。

「中学に入ったら、先輩から必ず1回はビンタをされるらしい」
「野球部に入ったら、部活の時だけじゃなく、授業中もユニフォームらしい」
「◯◯(同級生)の兄ちゃんは、校則違反をして登校禁止になったらしい」
・・・などなど。
そんな流言飛語の中で、今でも最も強烈な印象が残っているのが、下記の噂だった。

「男子が陸上部に入るには、まずパンツを脱いで、先輩にアソコを見せないといけない」

・・・中学へ入学したら、僕は陸上部に入るつもりだった(爆)
しかし、こんな噂を目の前で聞かされた僕は、さすがに大いに迷い悩んだ。

当然だが、上述した噂は、すべて誇張と虚言が入り交じった根も葉もない噂話だったわけで。
しかし、情報があまりにも少なく、まだまだ未熟な子どもには、それらは迷わせるに十分な
噂だったのだ。

昨日の夜、娘が中学校でもらったプリントに目を通した。
ここまで説明していなかったが、娘が4月から通う中学校は、僕の母校でもある。
しかも中学校の今の校長先生は、僕が中学1年生の時に担任だった先生だ。
怖かった。よく叱られた。よく殴られた。

「校長先生、優しそうだったよ」

僕の中学時代の話を以前から聞いていた娘は、プリントを見ている僕に向かってそう言った。
そりゃあ、そうだろう。60歳を過ぎてもあの頃のままだなんて、そんなタフな人間はいないよ。
大人的な見方をすれば、少しは丸くなって世間や父兄との折り合いが上手くなったから
校長になれたんだろうし(笑)

部活紹介のコーナーに目を移す。
陸上部。
女子、5人。
男子、0人。

ウソだろ・・・・。

いくら少子化で、僕らの頃より全校生徒が少なくなったと言っても、男子の部員が0人だなんて・・・。
まさか、まさか、まさか・・・。
・・・ホントに、先輩にアソコを見せないと入部できないんじゃないだろうな?(-_-;)
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芥川賞(笑)。

2012-01-18 | Weblog
「あなたが本当の文化を知りたいのなら、古代ギリシャの芸術を鑑賞すればいい」

小説の文中で読者にそう薦めたのは、作家の村上春樹だった。
理由は、「奴隷制度」だそうだ。
古代ギリシャでは奴隷が身を粉にして働き、その間に市民が芸術を創造した。
本当の文化というものは、俗世と無縁の中でしか生まれない・・・ということなのだろう。

昨夜、芥川賞と直木賞の受賞作品が発表された。
僕の関心が向かったのは、世間の例に漏れず、田中慎弥氏だった。

御年39歳。
高校卒業後、アルバイトも含めて、一度たりとも労働経験なし。
ひたすら筆と原稿用紙の人生。

いやぁ、いいわ(笑)
受賞の記者会見、ご覧になりました?
あの記者会見を見ていると、“小説を書く人間は、やはり社会と迎合してはいけない”と
いうイメージをさら強くさせるに十分だったような気がする。

まぁ、すべての作家がそうであるべきとは思わないし、実際、著名作家の方々の中には、
いろんな職業を経て、現在文壇で活躍されている方もいらっしゃるし。
浅田次郎氏とかね。

だから一概に言えないのは承知だけど、それでも田中氏のスタンスには感嘆してしまう。
そういえば、ちょうど1年前の芥川賞は、あの西村賢太氏が受賞した。
同氏の受賞記者会見も、これまた強烈だった。
僕なんて、テレビの前で同氏に向かって拍手を送ってしまったほどだった。

だからここ数年の上半期の芥川賞受賞者は、本来の文学的意味とはまた別の意味で、
世間の耳目を集めつつあるような気がする。その良し悪しは別として。

あえて言うなら、芥川賞ではなく、芥川賞(笑)・・・ってとこか。

芥川賞「都知事閣下と都民各位のために、もらっといてやる」 田中慎弥さんの受賞会見↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120117-00000653-san-soci
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17年。

2012-01-17 | Weblog
17年前の今日、阪神大震災が起こった。

その日、震源地から200km離れた場所にいた僕も、それまで経験
したことがなかったほどの揺れで布団から叩き起こされた。
おかげで少々寝不足気味だったが、それでも普通に会社にでかけ、
普通に仕事をはじめ、昼休みにテレビのニュースを見た。

自分の目を、疑った。

奇しくもその一週間後に、僕は仕事がらみで大阪へ出張する予定
だった。
だが、当然のようにそれはキャンセルになった。

京阪神には、多くの知り合いがいた。
親戚、友人、先輩、後輩・・・etc.
幸いにも、みんな無事だったが、知り合いの知り合い・・・という
ふうな繋がりの中では、必ず一人は犠牲者がいた。

阪神大震災が起こった1995年には、もうひとつ大きな事件があった。
地下鉄サリン事件、いわゆる一連のオウム真理教事件である。
そのためか、1995年はこんなふうにいわれることがある。

バブルの幻想が完全に吹き飛んだ年、と。

当時の日本は、バブルはとっくに弾けていたが、それでも「あの夢を
もう一度・・・」と多くの人が願っている空気があった。
しかし、震災とサリンが、そんな甘い空気を完全に消し去ったのだ。
実際、それ以降、景気が急速に悪化しはじめたことを、当時20代半ば
の青二才だった僕でさえも肌身に感じていた。

さて、2012年の日本。

未曾有の東日本大震災からもうすぐ1年が来ようとしている。
そして国内外の目を覆いたくなるような経済状況、笑い話にもならない
ような政治。

17年後、この時代はいったいどのように解釈されるようになるのだろうか。
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恋文広告。

2012-01-15 | Weblog
ツイッターで、ある人がつぶやいていた。

「恋文広告」。

恥ずかしながら、広告業界に属している人間なのに知らなかった。
読んでいるうちに熱いものが・・・。

ダラダラと説明するのは、野暮な気がする。
あなたがこの日記を読まれたのも何かの縁。
どうぞお読みください↓


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芝浜。

2012-01-12 | Weblog
正月に、NHKで立川談志師匠の落語を放送していたので録画した。

昨夜からやっと見はじめた。
1時間や30分程度の番組なら大したことないのだが、この番組は3時間。
NHKだから当然CMもないので、3時間どっぷり談志漬けである。

番組は、生前に親交のあった毒蝮三太夫氏や嵐山光三郎氏や山藤章二氏ら
ゲストが談志師匠を偲びながら、かつての高座のVTRを紹介する・・・と
いう内容。

落語は、以前から興味があったのだけど、なかなか敷居が高くてそこを潜る
のに、予想以上に時間がかかった。
ドラマ「タイガー&ドラゴン」やマンガ「寄席芸人伝」を通して興味を
持ったような、完全なるミーハー的な人間なので、古典落語には今でもそれ
ほど明るいわけじゃない。
でも、じっくり聞きたいなぁ・・・。

そう思っていた矢先に、立川談志師匠が亡くなった。

あぁ、もっと早くに接していればよかった。
それが番組を見ながら思った印象だ。

20歳の堅物の坊ちゃんが吉原へ女郎買いに行く「明烏」、
談志師匠のパントマイムばりのリアルな仕草に唸った「首提灯」、
そして、その物語の世界に一気に惹き込まれた人情噺の「人情八百屋」。

こんなことを安易に言ったら数多の人に怒られるかも知れないけど、
生まれ変わったら、噺家になりたい。
そんなことを思わせるようなものすごい芸だと思った。

高座のVTRの間に挟まれるゲストのトークで、「談志の“芝浜”はいいっ!」
「いや、あれを演る談志は談志じゃない、無理をしている」というちょっと
白熱気味な議論(というと大げさか)が交わされていた。

「芝浜」といえば、人情噺の最高峰のような演目だ。
僕はまだ談志師匠の「芝浜」を見たことがない。
しかし話によると、談志師匠の「芝浜」は絶品だったそうだ。
稀代の天才落語家だから「芝浜」もきっと素晴らしい噺だったのだと思う。

・・・・と思っていたら、YOU TUBEで見つけた。
・・・・やっぱり素晴らしい。

願わくば、こんな夫婦になりたい。

立川談志 「芝浜(2006.12)」1/4 HD
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あんた、誰?

2012-01-11 | Weblog
今日の昼。

会社の近くのコンビニに行ったら、一人のお客さんに「こんにちわ」と
声をかけられた。

知っている。たしかに知っている。
でも、誰だか分からない・・・。

名前が出てこないのならば、それも老化のせいだと自虐的に片付けれる
のだが、名前以前にどこで出会ったどこの誰なのかさえ分からないのだ。

しかし、ぼんやりとは、分かっている。

ここ1年くらいの間に出会った人だとか、たぶん仕事絡みで知り合った
人だとか、僕より年上だとか(これは見ればわかるか)、そんな断片的
な信号は脳みその中を走るのだけど、それが上手い具合に答えを導かな
いのだ。

今日、声をかけてこられた人は、僕より年上の男性で声にも聞き覚えが
あった。
会社の近くのコンビニで遭遇するくらいだから、おそらく仕事を通して
知り合った人なのだろう。
名前は出てこなくても、反射的にそう推測した僕は、
「あ、どうもぉ~、お世話になります、ご苦労様です、よろしくお願い
しますぅ~」
と、会釈をしながら、仕事で使うべき挨拶をフル出動させた(笑)

最近、こういう事が多くなった気がする。
肯定的に考えれば、自分の記憶力のキャパシティ以上に人間関係が広がっ
た証左なのかもしれない。
しかしその一方で、やはり記憶力が低下しはじめたのかもしれない・・・
とちょっと思っている僕もいる。

だが。

こんなふうに思い出せないのは、圧倒的に、おそらく99.8%は男性なのだ。
知人の女性とバッタリ出会った時には、その人がどこの誰なのかほぼ分かる。
「あ、この人は、◯◯(株)の総務部の人だ」とか、
「あ、この人は、半年前に一緒に飲んだ人だ」とか・・・百発百中である。

だから、おそらく記憶力の低下ではないのだろう。
りきるさんは、まだまだ元気です(笑)
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怠惰の王道。

2012-01-09 | Weblog
昨日(8日)の夜は、友人たちと新年会だった。

無礼講という言葉など、まったく不必要な旧知の連中たちなので、
夜遅くまで飲み屋街をウロウロと徘徊・・・。

おかげで、今日は1日中自宅でのんべんだらりと。

案の定というか、予想通りというか、やっぱりあっという間の
休日だった。
もう、正真正銘、怠惰の王道(笑)
最近、時間の使い方が贅沢を通り越えて、下手くそになりはじ
めたような気もする・・・。
もうちょっと充実感のある休みを過ごしたいものだ。

写真は、新年会に行く時に目にした港の夕景。
まぁ、この風景を見られただけでの良しとするか。

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とんび。

2012-01-08 | Weblog
昨夜、NHKのドラマ「とんび」を見た。

原作・重松清。
舞台・広島。
主演・堤真一、そして、小泉今日子。

原作・舞台・主演・・・まるで今の“僕”という人間を
作りあげた“素材”で作られたようなドラマだった。
昨夜は前編で、来週後編が放送予定なのだが、
結論からいえば、いいドラマだった。
新年に見たテレビ番組の中で、一番よかった。

やはり親子の絆や家族の在り様を描かせたら、重松清の
小説に敵う作品は、今の日本にはないと思う。
どうしてこの人は、こんなに巧いのか。

舞台が広島なので、登場人物はみんな広島弁。
僕は広島の人間なので、どうしても役者が使う広島弁には
厳しい目(いや、耳か)で見てしまう。
しかし、堤真一をはじめ、出演者のみなさん、みんな巧かった。
発音やイントネーション、ちょっとした言葉尻りなど、
普通のそこらへんにいる広島人と遜色がない喋り方だった。
やっぱり、プロだ。

感慨深く演技を見させてもらったのが、小泉今日子。

キョンキョン(やっぱりこの呼び方の方がいいね)が広島弁を
話しているのを見たのは、おそらく初めてだと思う。
男が喋る広島弁は、ちょっと怖いイメージがある(らしい)が、
女が喋る広島弁は、柔らかくて暖かい。
それがキョンキョンが喋る広島弁には、もちろん柔らかくて
暖かいのだが、その上に、丸みというか弾力というか、なんとも
言えない緩やかな空気を感じた。

なんだか、不思議だった。

僕は、キョンキョンのファンだ。
いや、僕はファンではない。
キョンキョンの信奉者と言ってもいい。
彼女がデビューする前、「スター誕生」にまだ半分素人で
アシスタントとして出ていた頃に知り、たちまち好きになった。
だから、そこらへんのファンと一緒にしてもらっては困る。

あの頃、遠い遠い、はるか遠くの憧れの人だと思っていた
人が、演技と言えども、今、僕と同じ言葉を喋っている・・・。
大げさではなく、「俺、生きててよかった」と思った(笑)

よし、決めた。

そういえば、今年はキョンキョンがデビューして30周年だ。
断片的になるかもしれないが、この「りきる徒然草」で、
キョンキョンのことを書いてゆこう。

どれだけ僕がキョンキョンの信奉者か、みんなに思い知らせてやる(笑)
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聖書。

2012-01-07 | Weblog
システム手帳を今でも使っている。

スケジュールを書き込んだり、仕事の打ち合わせに使ったり、
アイデアが浮かんだらメモしたり・・・。

初めて買ったのは21歳の頃だった。
あの頃、誰も彼もシステム手帳を持っているような時代で、
持っていない人間の方が少ないような状況だった。
だけど今のご時世、その頃に比べれば、さすがに使っている人は
激減してしまったようだ。

でも僕はこの20年、相変わらず使っている。

写真のシステム手帳は、2代目のシステム手帳。
15年ほど前に新婚旅行で行ったオーストラリアのシドニーの
小さな雑貨屋で見つけた。
そのアンティークっぽいデザインにひと目惚れして衝動買いしてしまった。
それ以来、肌身離さず持っている。

別にこんな分厚い手帳を持たなくても、今なら携帯電話の機能ですべて
事足りることは、十分に分かっている。

でも、持っていると落ち着くのだ。
気持ちが、安心する。

以前、そのことを知人と雑談していた時に話したことがある。
すると、知人はこう言った。

「つまり、りきる君にとってその手帳は、牧師さんの“聖書”みたいなもんなんだ」

うん、たしかに。
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