rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

伝統の担い手、手業を絶やすな

2010-11-19 23:42:37 | 街たち
職人の街、パリ・バスティーユ界隈を「世界ふれあい街歩き」で見た。

バスティーユは、18世紀ごろから家具職人の街として栄え、いまも職人たちが自慢の技を生かし、仕事に励んでいる。
若い未来の熟練職人たちが、多く見受けられ、文化の厚みを感じた。
働く彼らの顔は、自信と誇りで生き生きと輝いていた。

たとえどんなに技術を習得するのが辛くても、人に認められて生活の糧を得られるのであれば、耐えて精進できるだろう。
人は、希望を持ち少しでも報われること無しには、前に進めない。
地味な手業ならば、忍耐なくして続けることができない。
おおよそ、生きる=生活に密着しているが故、見落とされて軽視されがちな多くの職人技こそ、文化を支える礎なのではないだろうか?

マスプロダクトは、消費傾向の平均値でなっている。
傾向を狭く絞っても、結局匿名的なのだ。
それでかまわない場合も確かにあるが、市民的文化は無味乾燥なものになってしまう。
束の間の人生だが、色どり豊に送りたいものだ。
その個の膨大な集積が、文化を形成するのだから、味のあるものたちに囲まれて過ごせるよう、手業の伝道者・職人を絶やしてはいけないと思う。

なんでもかんでも、「外国を見慣れえ」なんて、ナンセンスなことはいいたくない。
しかし、他と比較することで、気が付く事もあるわけだから、今の状況を冷静に考えるのもいいではないか?

こんなことをちらりと思いつつ、パリの職人の街をくまなく歩き回りたい!と、切望したのであった。

音楽ライフ

2010-11-19 16:44:01 | 音楽たちーいろいろ
多趣味な家人とは、食べ物・音楽・アートにおいて趣味嗜好がかなりかぶる。

誰もが多感な時期に出会い、“すりこみ”によって究極の懐メロ状態になる音楽ー我らにとってそれは、80’s
ちょっと恥ずかしいニューロマだ。
『ベストヒットUSA』『ポッパーズMTV』『TOKIO ROCK TV』などを、眠い目をこすりこすり食い入るようにみた。
ビデオクリップが新鮮だった。

その頃にファンとなったミュージシャンは、デヴィッド・シルヴィアンやシャーデー、いまだによく曲を聴いている。
彼らが、時折アルバムをリリースし、いいものを続けて創作しているのを確認すると、素直にシアワセな気持ちになる。
家人は、テクノによっているアーティストがいいらしい。
今では、YouTubeのおかげで、当時マイナーでTVに流されなかったビデオクリップを見ることができたり、また、フレンチポップス&ロック、ボサノバも気軽に楽しめて、ミュージックライフは充実だ。
家人とそのことで話が盛り上がると、時間が瞬く間に過ぎてしまう。

音楽は、純粋に音楽として楽しむ場合と、懐メロのように記憶の触媒としての機能を示す場合と、いろいろな作用を持っているんだな。
そうすると、アートや文学より、なんとういか生活密着型?身体的?うまく言い表せないけど、人に密接に食い込む要素が大きい、原初系なんだろう。
あらあら、あらぬほうに話がそれてしまった。