rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

地デジなんて嫌いだ!

2010-11-13 22:29:46 | つぶやき&ぼやき
昨日から、地上デジタル放送の電波障害が最悪だ!
2局ぐらいしか映らない!
障害物になる高層建築や、山などがないにもかかわらずにだ。
幸いなことにアナログテレビにデジタルチューナーを付けての受信だが、アンテナの位置を今また変えるなんてやってられない。
若かりしとき、何年かテレビ無しの生活をしたが、たいして不便を感じなかった。
今では、インターネットやケータイが情報ツールになっているから、さらに困ることなんてない。
見たいテレビ番組を2~3我慢すれば、不都合などないのさ!
いざとなったら、テレビなんて止めてやるーっ!

ポストカード

2010-11-13 20:42:16 | 趣味たち
旅行や展覧会にいくと、必ず買い求めるものがある。
ポストカードだ。

旅行で名所旧跡を訪ねる。
日程の都合で回りきれなかったり、天候に恵まれなかったとき、違う季節の表情、自分の目で見て写真に収められない場合などある。
そんなとき、ポストカードが重宝だ。
写真を撮ることばかり気にかけていると、五感で体験できる貴重な機会が損なわれてしまう。
旅行を生業にしたり、余裕ある身分で度々同じ街を訪れるような旅行ができるならば、あくせくしないでもよかろう。
悲壮感漂うが、自分的に訪れる街一期一会だと、思い入れいっぱいで力が入りすぎるので、とにかくポストカードの援護がないことには、落ち着いて観光できないのである。

展覧会では、出品作品の図版をほぼ収めたカタログが用意されている。
しかし、気に入った絵の図版が掲載されていなかったり、満足のいく内容でない場合、カタログを買ったりしない。
ここで、ポストカードの出番だ。
1~2枚でも、購入できるし、重くない、省スペース、あるいは誰かに一筆したためてもいい、便利なアイテムだ。
また、気に入った絵のポストカードがあれば複数枚買って、お手軽インテリアアートとして、日々心に美の栄養を与えることも可能。

そのほかに、現実的に入手不可能な仏像、聖像、動物たちの画像として、ポストカードにお願いする。
つまり、好きなものブロマイドってことかな。
10×15平方センチメートルの紙に、あらゆるものが定着されコレクションできる、アナログなかわいい奴なんだ。

ただ、ひとつ不満に思っていることがある。
日本の観光絵葉書のばら売りがない!
10枚セットでケースに入れて売られている。
しかも、種類が少ない!
絵葉書になりえる風景がないのか、何かほかの原因があるのか?
だから、国内旅行では絵葉書を買うことはまずない。
セットでは、納得できるものがないし、誰かに出すのに何でも構わないとしたら、それは相手に不誠実だ。

最近、観光立国日本とかうたっているが、ポストカードの現状を変えるのはいかがだろう?
今のままでは、外国人観光客も、日本のポストカードに不満を抱きそうだ。

新市街地は、万国共通?!

2010-11-13 00:38:55 | 街たち
また、一週間の楽しみの一つ、“世界ふれあい街歩き”を見た。
今回は、アテネ。

旅行では、交通の都合から、新市街から街に入っていく。
幅広い道路に、どこも似たり寄ったりのビル、世界展開のファストフード店、ファッションブランド。
気世話に歩く通勤者たち、決まったような街路樹。

街固有の顔があるのは、旧市街地。
近代化以前の建物と、その間を縫っていく道・路地、地域色を残している商店。
そこに生きる人々の暮らしが醸し出す、独特の雰囲気。

旅は、違いを求めて探し歩く行為でもある。
新市街地の、無機的に整備された平らな道からでは、考える余地を与えてをもらえない冷たさがあり、目的の遂行を急かされている感じがする。
だから、旧市街地は外せない。
そこにある違いを楽しみながら、歴史に思いを馳せるもよかろう。
なぜなら、細く曲がりくねった路地を歩くのは、思い考える過程に似ているからだ。

アテネのオリンポスのふもとには、旧市街がささやかに残されていた。
そのまわりには今や、白く新しい建物たちが、遠くに見える山の裾野までずうっと広がり続いている。
古の神々たちは、もはや自分たちの力の及ばなくなったこの巨大な街を、どんな気持ちで眺めているのだろうか。