rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

トカゲちゃん、あたふたする

2010-11-10 22:07:09 | 生き物たち
天気がよく、風もあると、植木鉢がよく乾く。
午前中の暖かいうちに、水をあげようと、ジョウロで水をかけ始める。
ちょろちょろちょろ…何かが動いた。
>なんだ、トカゲかぁ。
一匹だけじゃない。
頭から尻尾の先まで、5cmから10cm位のと大小様々。
>あら、驚かせちゃってごめんなさい、ねこに捕まらないよう気を付けなさいよ。

最近、さすがに葉っぱの上にくつろいでいるカエルの姿を見かけなくなった。
トカゲもそろそろ冬のねぐらに落ち着く頃だろう。
くれぐれも、ねこにご注意あれ。

電子書籍は、好きか嫌いか

2010-11-10 12:04:09 | 本たち
村上春樹、の小説によく猫が登場する。
物語の序盤、名前がないか、あっても猫にとってありがたくないものだったりする。
中盤あたりから、“魚”由来の名がつけられる。

そういう自分のところは、まったくそれにケチをつけられる立場ではない。

しかし、途中から名前を変更するのは、意外に難しい。

動物病院にお世話になったとき、ねこの名前を聞かれた。
適当に誤魔化してもいいのだが、そんな気になれなかった。
「〇〇ねこ」です。
ペットを飼っている場合、大方は愛情込めて命名するだろうから、獣医さんは呆れ顔だった。
思い直して名前をつけようと考え、いくつか試してみたが、‘ねこ’は「ねこ」しかありえなかった。

やっと本題。
ニュースで村上春樹の「1Q84」が、作者の承諾もないまま中国語翻訳で電子書籍化されて、米アップル社のサイト「アップストア」で販売 されているという。
著作権や、利益分配の問題だけではない。
作者が自作品の電子書籍化を容認していなければ、それを無視するのは横暴な行為だろう。
確かに値段や物理的スペースなどをとれば、電子書籍は利便性がいい。
文明的でもあろう。
だが、文化とすれば、それは危険度の高い行為といえないだろうか?
“本”には、それをなしえた労力がボリュームとして現れる物の存在感、本の装丁、栞で印される読書過程など、ただの情報とは違うものがある。
もっとも、読者たちのニーズによって、アナログかデジタルかの選択の自由を阻害してもかまわないわけではないが、利便性だけを追い求めるのは、問題があるように思われる。

人の意識が、文明の激流に対応するのはなかなかに難しそうだ。
せっかくさまざまな技術や物が進歩しても、その恩恵を受け使っていく人が、注意深くそれにあやからなくては、互いの間に横たわる深い溝に落ちないともがかぎらないのではないだろうか。