rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

住むところーについての考察

2010-11-03 00:09:08 | アート
久しぶりの晴れ間を楽しもうと、陶芸祭に出かけた。
空は青く澄んで、白い雲が薄くたなびいていた。
イチョウの樹が色づき始め、桂の丸みのある葉が紅葉して、秋が深まってきている。

陶芸祭のある会場は、芝や植え込みがよく刈り込まれ手入れされていた。
散策できるように遊歩道も整備され、“陶芸と石”で有名なだけあり、モニュメントが配置され、そこに変化を与えている。

「町おこし」の一環で、“陶芸と石”を活かし町を整備するのは、他の町との差別化で有効な手立てだと思う。
前の記事でもふれたが、職人や創作家が仕事を得る環境と、作ったものが活かされる場の確保は、文化の育成保存に不可欠だ。
個人的パトロンが存在しがたい世の中にあっては、公共な機関がその役割の一端を担う必要があると思う。

人が生きていく中で、“美”は必要不可欠でないかもしれない。
そうだとしても、“必要不可欠度ランキング”での順位は、半分より下に位置する気がする。
でも、人が人としてあるために、生命維持だけではない、“余分”なもは必要だろう。

自分は今、かなりな田舎住まいをしている。
田畑と雑木林と民家、道路、広い空。
徒歩で近所?に行くことも稀なくらいだから、商店などさらさらない。
人工的に刺激のあるものは、見当たらないところ。
だからといって否定してはいけない。
むしろ、このようなところが、のびのびと人を育んでいくのに適していよう。
惜しむらくは、過疎化と少子化で子供社会が著しく形成しにくい状況だということ。

でも、自分としては、青年期と老年期、歩いて生活の用を足せるところに住まうのが理想としている。
青年期は、さまざまなものを貪欲に吸収するために。
老年期は、体力・気力・好奇心維持に、自分で歩ける環境確保に。
そこには、お仕着せだけではない“美”がしっかりと存在して欲しいと心から願うのである。