rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

「雨降って地固まる」ならぬ、降り注ぎ浸透する災厄

2011-05-12 00:15:35 | つぶやき&ぼやき
雨が、連日降り注いでいる。
本来ならば、作付けした農作物にとっての恵みの雨となるが、どうも厄介な雨にしか思われないのは、大きな不安雲の塊から、滴り落ちる雨のせいかもしれない。

神奈川県南足柄市の新茶の茶葉から、暫定基準値越えの放射性セシウムが検出された。
数回摂取しても、健康に影響はないとしているが、出荷自粛と自主回収をするという。
また、政府は、土壌汚染の実態を調べ地図を作成する方針だ。
もし、深刻な事態が明らかになったならば、公表する前に、年間被曝許容量や、食品などの基準値を高めに改定するなどの小手先を使って、偽りの安全宣言をするのではないだろうかと、危惧される。
なんと言っても、年間被曝許容量20ミリシーベルトと、老若男女問わず一律にしてしまったぐらいである。
専門家でなくとも、この数値を聞いたときには、唖然としてしまった。
しかしこれは、外部被曝の数値で、体内に入り込んだ放射性物質による内部被曝の場合には、また条件が複雑になってくる。
食品から、大気から、土壌から、あらゆるところに危険が潜み、害をもたらされる可能性が大きい。
排出された放射性物質は同心円状に均等に拡散されず、気候の影響をまともに受けて不均等に拡散する。
それも一定方向ではなく、風向きなど大気の流れにのり、始終漂いながら動いているのだ。

あの日から、空を見上げては、若き人たちのことを思う。
海を思っては、地球の未来を想像する。
循環して命を繫いでいる生命を冒涜している、その一員であるはずの人間。

今回の原発事故で避難されている方々15万人の健康追跡調査を30年にわたって行うとあるが、国の責任の一環だけと受け止められない。
原発を抱える世界各国が、これらの行方を注視しているからだ。
確かに考えようによっては、ふたたび同じ過ちを繰り返してしまわないように、起こってしまった事故の教訓を得て、今後の人の発展に活かすべきであろう。
ただ、合理的に割り切れない感情があるのも、また事実なのだ。

ここは、100キロ以上離れた土地だ。
田畑の作付けに関して、土壌検査があったと耳にしていない。
一般人の余計な心配なのだろうが、未来を担う若い人たちのことを考えると、不安は拭えないのだ。
自分の田畑を持ち、米や野菜を作って食べている田舎暮らし、これをせずに買ってばかりいたのでは、土地が荒れて耕作できなくなるし(耕作に適した土地になるまでには、時間と労力を多くつぎ込まなくてはいけない)、生活も立ち行かなくなる。
切羽詰らなければ、移住などできはしない。
命に代えがたくとも、自分の土地から退去しなくてはならなかった方々の、無念さははかりしれないだろう。

この天災は、ほんとうに厄介な人災呼び寄せてしまった。
そして、次々に新たな人災を招き寄せようとしているようで、心底恐れを感じてしまうのだった。