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アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

「霧のむこうに住みたい」須賀敦子

2011-05-13 00:51:36 | 本たち
須賀敦子の最後のエッセイ集らしきもの。
彼女自身の経験から紡がれる糸で織られた、まるで色とりどりの糸で編み込まれながらもしっとりとした色合いでふんわり暖かいミッソーニのストールのような本だ。
「七年目のチーズ」のような衝撃的で異色な挿話があり、その類の「なんともちぐはぐな贈り物」も創作的で、流れの見えない小川のような意識と時間の作品群、つまりストールのベース色に挿し色として編み込まれている。
彼女は、とても強い独立した人なのだろうし、好奇心と自分の意思をしっかり持っているように思う。
太平洋戦争後間もない頃に、単身パリへ留学し、その2年間を精力的に過ごすなんて、その胆の座りように驚愕を覚える。
自分の行くべき道を焦らずに根気よく探し、そしてその道を真摯に歩き続けていく彼女の姿に、憧れと尊敬の念を抱く。

自分は、勤勉さでも意志の強さでも彼女に到底及ぶべくもなく、ただ夢だけを食べて生きている獏のようだ。
自分の嗜好するものを追い求めて、自堕落に生きている。
その自分に弱く足りないところを、彼女が爽快に(傍から見ての)やってのけてくれるのが、気持ちが良いのだと思う。

高校生のとき、デヴィッド・シルヴィアンというミュージシャンに憧れた。
もちろん、今も彼の音楽を愛聴している。
初めはルックスから入って、音楽を聴き、インタヴューを読んでその生き方に感化された。
ティーンエイジャーお決まりのコースだ。
しかし、「ブリキの太鼓」と「ブリリアント・テュリーズ」のアルバムは、類をみない個性的な作品としては白眉だと、今を以って思っている。
自分の目指すイメージを保持しながら昇華させていくその生き方を、何よりもカッコイイとして、全くうだつは上がらないけれど、自分もそうありたいと生きている。

須賀敦子のエッセイのほかに、彼女が翻訳したアントニオ・タブッキ「インド夜想曲」を読んだ。
かれこれ10年以上前と、図書館の本を借りて読んだので詳細を忘れてしまったが、幻想的な世界感に酩酊した印象がある。
ほかにも読んでみたかったが、あいにく書架になく、本を読むのもままならない状態にもなったので、いつしか忘れていた作家だった。
でも、この「インド夜想曲」のせいでもあろうか、インド系アメリカ人のジュンパ・ラヒリの作品を手に取るのに違和感を抱かなかったという、思わぬ恩恵もある。

本にしても、作家にしても、アーティスト、ニュージシャン様々なものが、つながり巡って自分の内面世界を豊かにしてくれている。
須賀敦子も、その生涯の中で、自分の好みとめぐり合いが彼女を形成していったのだろう。
本・人・街・食べ物との出会いがもたらした豊潤な人生を送った彼女、自分の人生も様々なつながりとめぐり合いで豊かに彩られたならば、申し分ない人生にあるだろうと、相変わらず夢見ているのであった。