好みの湯飲み茶碗は、大降りで白を貴重とした釉薬がかかっている陶器でできたもの。
たっぷりの緑茶を茶碗に満たし、ゆっくりと味わいたいから。
それとは対極の、磁器ならば、片手を軽く窄めた程度の大きさで、内側は白く、外側の絵付けは青に朱赤、時には緑と金泥があっても良い、楚々とした花鳥が描かれたものあたりがいいだろう。
この茶碗には、玉露か縒りの細い煎茶を注ぎ、色と香りを楽しみ、味の奥行きを堪能しよう。
しかし、これもまたマグカップなどと同じく夢の器でしかない。
陶器のほうは、四つばかり白いのがあるが、使ううちに縁が欠け、無傷な姿ではいられなくなったかわいそうな茶碗たち。
陶器市に足を運んで、見初めた茶碗を連れ帰りたいのだが、懐具合がよろしくない。
いつまでたっても夢の器。
ずいぶんと前になる、自分で三つ四つ茶碗をひねってみたことがある。
素人のいびつな茶碗しかできないが、そのうちの一つあじさいブルーの茶碗を、母は忍耐強く使い続けてくれた。
それは、なぜか強かった。
周りの茶碗をけちらすほどに。
小さい人も大きくなり、学校でコーヒーカップを作ったことがある。
コバルトブルーの小振りで味のある可愛らしい出来だった。
小さい人の手に残る粘土の感触が消えないうちに、手びねりに行きたいものだ。
そして、自分は湯飲み茶碗をつくり、夢をつなぎとめるまじないをかけよう。
毎日使うさまざまな器たち。
中でもとりわけ凝ってみたいのが、湯飲み茶碗とマグカップなのだ。
相変わらずの、夢の器であっても。
たっぷりの緑茶を茶碗に満たし、ゆっくりと味わいたいから。
それとは対極の、磁器ならば、片手を軽く窄めた程度の大きさで、内側は白く、外側の絵付けは青に朱赤、時には緑と金泥があっても良い、楚々とした花鳥が描かれたものあたりがいいだろう。
この茶碗には、玉露か縒りの細い煎茶を注ぎ、色と香りを楽しみ、味の奥行きを堪能しよう。
しかし、これもまたマグカップなどと同じく夢の器でしかない。
陶器のほうは、四つばかり白いのがあるが、使ううちに縁が欠け、無傷な姿ではいられなくなったかわいそうな茶碗たち。
陶器市に足を運んで、見初めた茶碗を連れ帰りたいのだが、懐具合がよろしくない。
いつまでたっても夢の器。
ずいぶんと前になる、自分で三つ四つ茶碗をひねってみたことがある。
素人のいびつな茶碗しかできないが、そのうちの一つあじさいブルーの茶碗を、母は忍耐強く使い続けてくれた。
それは、なぜか強かった。
周りの茶碗をけちらすほどに。
小さい人も大きくなり、学校でコーヒーカップを作ったことがある。
コバルトブルーの小振りで味のある可愛らしい出来だった。
小さい人の手に残る粘土の感触が消えないうちに、手びねりに行きたいものだ。
そして、自分は湯飲み茶碗をつくり、夢をつなぎとめるまじないをかけよう。
毎日使うさまざまな器たち。
中でもとりわけ凝ってみたいのが、湯飲み茶碗とマグカップなのだ。
相変わらずの、夢の器であっても。