rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

クリムトの風景画

2012-10-30 15:22:02 | アート

りんごの木

クリムトといったなら、まずは黄金に輝く「接吻」が有名。
ほかには、エロティックで蠱惑的なまなざしを送る女たちの装飾的な肖像画群だろう。
クリムトの人体表現は卓抜している。
白い皮膚の下に流れる静脈の青さ、高揚して注すほのかな赤み、肌の滑らかさと艶をこうもさりげなく表現する。
もちろん、絵の全てにわたっての細やかな神経の使い方も憎いほどだ。
しかし、クリムトの風景画は、それに劣らない力の入れようだ。

個人的な楽しみのために製作したといわれる風景画。
そのほとんどは、正方形に近い形に描かれている。
クリムトの風景画を知ったとき、絢爛豪華な人物がたちの影が薄くなるのを感じた。
一タッチごとに、クリムトの楽しく高揚した息遣いが感じ取れる。
純粋な野心こそあれ、功名心など微塵も入り込まない、無垢な絵を描く喜びに満ち溢れている。
ボナールも色が響きあう美しい風景画をたくさん描いているが、どこかに必ず生き物が描き込まれている。
構成上だけでなくても、考えれば、ごく自然なこと。
だが、クリムトの風景画に生き物や点景人物が描き込まれているのを、私は知らない。
首都ウイーンで人にまみれて過ごしているだけで、もううんざりと思っているのか。
植物と水、空、山、ときどき建物があれば、それだけで十分なのだという。
クリムトの風景画は、動きを感じさせない、ただ在るということだけが画面を支配している。
クリムトの中で、風景画と人物画は対をなし、バランスを保っているのだ。

私は、クリムトの風景画の中に入り込んでしまいたくなることがある。
誰もいない、動く生き物がいないその中に、溶け込むのだ。
孤独・・・?ではない、植物的な穏やかな生命のサイクルが、そこにはある。
永遠に続く命のサイクルに、加わる。

もしかすると、クリムトは深い絶望の中にいたのではないだろうか。
19世紀末、世界がダイナミックに動き出したのとは裏腹に、癒されることのない孤独の足音を聞いたのかもしれない。

美しいだけではない、深い悲しみと幽かな希望にすがる混在した意識が、クリムトの風景画を浸しているのだ。


アッター湖の島


ぶなの林