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人は、人によって傷つき、また、人によって救われる

2012-10-23 10:37:34 | 随想たち
ETV特集「永山則夫・・・」の続き。
永山則夫の精神鑑定を担当した精神科医・石川義博氏について。

100時間にも及ぶ永山則夫とのやり取りの中から紡ぎだした精神鑑定書は、当の永山則夫本人からも否定され、精神的に打ちのめされた石川医師。
この経験によって、石川医師の方向性の転換がもたらされる。
分析研究を目的とする医師ではなく、カウンセリングによる心の治癒などで、医者の本分であるべき治療を主に据えた医師であろうとすることだ。
これは、昇華に当たる行為。
精神鑑定書が、裁判で採用されないことで傷ついたのではない、永山則夫と築いたと思った信頼が崩れ去ったと思ったことで、石川医師は深く傷つき自信喪失に陥った。
しかし、永山則夫に深くかかわり、心の傷が彼の人生を振り回したことを知ったからこそ、心の治療の必要性をはっきりと認識できたのだ。
進むべき道が定まったにしても、石川医師の心の傷は癒えないでいた。
それが癒されたのは、永山則夫が死ぬまで大切に持ち、幾度となく目を通して書き付けられた線と文字がある”永山則夫 精神鑑定書”の原本の存在を目の当たりにしたときだ。
一度は否定された精神鑑定書だが、永山則夫が獄中生活で学び、自分の心の根源と向き合う術と、母を許し心の安寧を得る中で、再び直視され受け入れられたのだ。
永山則夫の心の成長を知ったことで、石川医師は、彼もまた救われた人間になった。

永山則夫は、疎まれ傷つけられた母によって救われ、母は、疎んじた子によって癒され、石川医師もまた、傷つけられた永山則夫によって救われた。
DNAの構造が絡まる螺旋と同じように、悲しみと愛は連鎖している。
しかも、受け継がれもする。
なかなか断ち切ることなどできない、それはもう人の一部なのだから。

現在において、このやるせない負の連鎖は、いたるところで頻発している。
悲しみと愛のサイクルは、時間がかかるのに、贖われることのない魂が夥しい骸となって地上を埋め尽くすようだ。
大人も子供も傷ついて、どう癒せばよいのか途方にくれるだけ。

美しい景色でも、可愛い猫でも、美味しい食べ物でも、素敵な服でもない。
つまるところ、人は、人でしか癒されることはない。
一番不確かだが、一番確かなのも人とは、なんと矛盾した生き物なのだろうか。

おそらく、永山則夫も、石川医師も、人という歯がゆい生き物に、深い哀れみを抱いているのではと想像するのだ。