rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

動く彫刻”モビール”のアレクサンダー・カルダー

2012-10-25 14:44:38 | アート

Rouge Triomphant-1959-1963

彫刻に動きを取り入れた、カルダーの偉業”モビール”。
細いワイヤーで原色で彩られた小片をバランスよく配置し、ゆらゆらと軽やかに動く洒落た作品。

彼は、現代美術のアートシーンの真っ只中に活躍した。
カルダーのモビールの名付け親であるマルセル・デュシャンや、カルダーに多大な影響を与えたピート・モンドリアンなどの錚々たる芸術家がいた時代だった。
大きな戦争などの過酷な時代でもあったが、芸術家は自分の使命を信じることができた時代でもあった。

カルダーは、商業的成功には見向きせず、モビールの特性を生かすべく広いスペースのある公共施設への作品提供、大きなモニュメントなどにも心血を傾けた。
芸術家になる前のカルダーが、技術屋であったことと、記念碑などの彫刻を成していた家系による刷り込みが、根底にあったのかもしれない。
しかし、小さなモビールが天井から吊り下げられ、空気の流れによって揺らめくさまを日々眺めていたい自分としては、カルダーが十分に商業美術の中でも成功を修めたと思うので、もったいない気もするのだ。
確かに、商業ベースに乗ると、一時的大きな成功を手にしても、一過性の流行とやたら目たらに消費されて精神的に疲弊しそうだ。
長い目で見て考えれば、自分のペースを守り、より良い作品を送り出すのが賢明といえよう。
公共的な場所に設置するならば、よほどのことがない限り、半永久的に作品は保持される。
その機会を得られたカルダーは、とても幸運で、その選択をしたことは賢いと言わざるをえない。

どうだろう、カルダーの作品はなかなか素晴らしいと思わないか?
もちろんモビールも素敵だが、ワイヤーでの彫刻に平面のリトグラフもすっきりと洒落ている。
カルダーの作品には、軽薄ではない、力学と工学に裏打ちされた技術による自信に満ちた明るい未来を感じさせる”軽さ”が備わっているからだろう。

そのカルダーに秘められた軽さを取り入れたいと。ずっと前から、自分でカルダー風のモビールを作ろうと計画を練っているところだ。




Kiki of Montparnasse


Two Spirals, 1974.



人は、人によって傷つき、また、人によって救われる

2012-10-23 10:37:34 | 随想たち
ETV特集「永山則夫・・・」の続き。
永山則夫の精神鑑定を担当した精神科医・石川義博氏について。

100時間にも及ぶ永山則夫とのやり取りの中から紡ぎだした精神鑑定書は、当の永山則夫本人からも否定され、精神的に打ちのめされた石川医師。
この経験によって、石川医師の方向性の転換がもたらされる。
分析研究を目的とする医師ではなく、カウンセリングによる心の治癒などで、医者の本分であるべき治療を主に据えた医師であろうとすることだ。
これは、昇華に当たる行為。
精神鑑定書が、裁判で採用されないことで傷ついたのではない、永山則夫と築いたと思った信頼が崩れ去ったと思ったことで、石川医師は深く傷つき自信喪失に陥った。
しかし、永山則夫に深くかかわり、心の傷が彼の人生を振り回したことを知ったからこそ、心の治療の必要性をはっきりと認識できたのだ。
進むべき道が定まったにしても、石川医師の心の傷は癒えないでいた。
それが癒されたのは、永山則夫が死ぬまで大切に持ち、幾度となく目を通して書き付けられた線と文字がある”永山則夫 精神鑑定書”の原本の存在を目の当たりにしたときだ。
一度は否定された精神鑑定書だが、永山則夫が獄中生活で学び、自分の心の根源と向き合う術と、母を許し心の安寧を得る中で、再び直視され受け入れられたのだ。
永山則夫の心の成長を知ったことで、石川医師は、彼もまた救われた人間になった。

永山則夫は、疎まれ傷つけられた母によって救われ、母は、疎んじた子によって癒され、石川医師もまた、傷つけられた永山則夫によって救われた。
DNAの構造が絡まる螺旋と同じように、悲しみと愛は連鎖している。
しかも、受け継がれもする。
なかなか断ち切ることなどできない、それはもう人の一部なのだから。

現在において、このやるせない負の連鎖は、いたるところで頻発している。
悲しみと愛のサイクルは、時間がかかるのに、贖われることのない魂が夥しい骸となって地上を埋め尽くすようだ。
大人も子供も傷ついて、どう癒せばよいのか途方にくれるだけ。

美しい景色でも、可愛い猫でも、美味しい食べ物でも、素敵な服でもない。
つまるところ、人は、人でしか癒されることはない。
一番不確かだが、一番確かなのも人とは、なんと矛盾した生き物なのだろうか。

おそらく、永山則夫も、石川医師も、人という歯がゆい生き物に、深い哀れみを抱いているのではと想像するのだ。




絶好の天体観測日和、2012年10月20日21日オリオン座流星群

2012-10-21 23:03:21 | 空・雲・星・太陽たち
流れ星の美しさに魅入られた者のとしては、流星群チェックは外せない。
昨夜と今夜は、月明かりもなく、穏やかに晴れ渡った夜空になり、流星観測には最高のコンディション。
昨日は計30分、5つほど流れ星の中に長い軌跡を描くもの1つ観て、今日は、20分の2つ中に1つの煌く軌跡の流れ星があった。

流星群の観察で毎度思うことは、全方向対応の展望デッキを作り、ごろりと横たわり思う存分星空を眺めたい。
今は、南側のベランダから眺め、屋根で隠れて見えない空の部分にやきもきした。
外に出ればいいのだけれど、防犯灯と蚊の邪魔が入るから、落ち着いてみていられない。
立って見上げていると、何より首と腰が痛くなる。
つまり、我儘なだけの願望。
でも、星を眺め、心行くまでいろいろなことに思いを馳せるには、環境の整備は大切かと思う。

先ほどには、杉の木に隠れていたオリオン座が、その姿をすっかり現したころに違いない。
今一度、夜空を見上げてこよう。
瞬く間に消えていく、存在の儚さを見届けるとしよう。


物語を生む灰色の街、スコットランドのエディンバラ

2012-10-20 23:31:39 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」スコットランドの首都エディンバラ。
ケルト人が砦を築き、中世から繁栄をしてスコットランドの中心地となった、灰色の石造りの街並みは、世界遺産に登録されている。
中世からの重々しい雰囲気を壊さないように、建物にネオンサインをつけるのを条例で禁止し、景観を守っている。
また、物語が生み出される街でもある。
シャーロック・ホームズシリーズを送り出したコナン・ドイルの生まれた街、そして、ハリー・ポッターの始まった”エレファント・ハウス”カフェがある街だ。

スコットランドのグルメ。
”ハギス”は、羊モツのミンチの巨大な腸詰。
それを、マッシュポテトと茹でて加熱したハギスをほぐした物と根菜のマッシュを重ねたものに、ウイスキーをかけて食べる。
ウイスキーを生のままかけるなんて、ちょっと想像できない味。
スコットランドは、スープに入れ込んでいるとみえて、スープバーが人気だとか。
”スコッチ・ブロマ”は、鶏肉とたくさんの種類の野菜を煮込んだスープ。
”コッカ・リーキ”は、鶏肉とネギをチキンスープで煮込み、小さく刻んだプルーンでコクと旨みを加え、一日寝かしてから食べる。
”カレン・スキング”は、ジャガイモとネギをミルクで煮込み、タラの燻製を加えてさらに煮込んだもの。
どのスープも、体を芯から温めてくれそうで、食べてみたくなるスープだ。
スコットランドのスイーツに、収穫の喜びを味わう”カラナカン”がある。
ラズベリーを、ウイスキー・クリーム・蜂蜜とつぶしながら混ぜ、オートミールを加えて食感をプラス。
ラズベリーの鮮やかな赤色が乳白色のクリームを混ざり合い、きれいなスイーツ。

スコットランドといえば、タータンチェックが有名。
タータンチェックは、一族によって柄が決まっていて、日本の家紋的意味合いを持つ。
今では、その伝統は薄まり、市民のファッションとして浸透している。
「ネス」は、地元発のタータンショップ。
現代的な色使いのタータンで、様々なものを作っている。
「ジョーイ・デー」は、ビンテージタータン生地を使い、素材の組み合わせで新しく見せる一点もののハンドメイドの店。

海に面したエディンバラのリース港には、ブリタニア号が停泊している。
かつてイギリス女王専用の船として活躍し、1997年からは観光船として余生を送る。
女王が最後に下船した三時一分に、船内の全ての時計の針は止められた。
湾にかかるフォース鉄橋は、19世紀に建造され、世界一長い橋といわれた時期もある。
エディンバラからのクルーズで、インチコールム・アイランドという小さな島々を廻ると、アザラシなどの動物に出会える豊かな自然もある。

スコットランドは、イギリスからの独立の是非を問う住民投票が行われると決まったばかり。
もともと、イギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドなどの国の集合体。
過去には争いが耐えなく、いまだに悶着は治まっていない。
独立を求める気持ちは、絶えず持ち続けてきた。
それも時代と気運の流れ、いたし方のないこと。
そこで生きる人たちが、強く望めば国のありかたは変わるのだ。
ただ、人の血が流れ、命が失われることのないように、変化していって欲しいと思う。
今まで培われてきた知恵は、役に立つことを祈って。

瞬く星、夜のドライブ

2012-10-19 23:35:45 | 空・雲・星・太陽たち
田舎の夜は、かなり暗い。
夜の外出など、とても珍しいのだが、所用があって車を走らせた。
行き交う車の明かりも稀な田舎道。
人家の明かりは、ぽつんぽつんと頼りなげな光を暗闇に放っている。
空を見上げれば、瞬く星が美しい。
六時ごろ西よりに輝いていた三日月は、その姿を隠してしまった。
今夜は、星が、雲ひとつない空を占領している。
冷え込みも厳しそうだ。
帰る途中、車を止めて空を見ようかと思ったが、オリオン座流星群にはいささか早い。
また、物好きにも夜道に車を止めて空を見ている様子は、不審者に間違われないとも限らなく、思いとどまった。
何も、家に帰れば、安心して好きなだけ空を見上げることができるのだから。
ただ、なんというか、星がきれいだからという理由だけで、車を止めて空を見上げる行動に魅力を感じていたのだ。

明日と明後日の夜中から明け方にかけて、天気の具合もよく、流星群観察には絶好のようす。
用事が立て込んでいるから、その時間帯に起きられるか怪しいが、気持ちだけはスタンバイしておこう。
湖岸縁あたりまでドライブして空を見上げるのを理想にもって。
夜空の明けゆく様と流星、そして、湖面に映る空の移ろいを見られたなら、どんなにかうっとりとすることだろう。
想像しただけでも、切ない感動が胸を締め付けるのだから。