銀河太平記・047
火星に野生動物は居ない。
野生でなくても、人間以外の動物は、まだまだ希少だ。
地球では、家畜が脱走して野生化することがある。オーストラリアの野生の馬とか牛とか羊とか、日本で有名なアライグマも二十世紀の末に輸入されたものが野生化したものだ。日本の場合はアニメでアライグマが流行って、ペットとして輸入されたものが脱走したり、大きくなって持て余した飼い主が捨てたりしたのが野生化してしまったんだ。二百年の間にガラパゴス的に進化して『ラスカル』という固有種になって、ニ十三世紀の今日ではアライグマというよりは『ラスカル』の方が通りがいい。子どもの中には『ラスカル』と『アライグマ』は別の動物だと思っている者もいる。
考えてみれば、地球の自然環境が、それだけ豊だということだ。
火星に持ち込まれた動物は、人間の保護が無ければ半月も生きられない。餌も無ければ水さえ自然には存在しない。居留地が集中している中緯度以外では酸素濃度も月よりはマシという程度しかない。
その火星にも、野生動物めいたものが、今世紀になって繁殖し始めている。
「見た目には可愛いので、躊躇なさらないでください」
コスモスが注意する。
コスモスの背後で匍匐前進しているのは、俺と宮さまだ。
ベースを出た時には元帥と副官のヨイチも一緒だったんだが、さすがに五人も居ては獲物に気付かれるというので、集合地点を決めて別行動をとっている。
「ロボットなんですよね?」
宮さまが念を押す。
「ええ、元々はマース条約のもとで作られたペットロボットですから」
中国の植民地であったマス漢が、開拓民の無聊を慰めるために作ったペットロボットが、ユーザーによって違法改造されたものが野生化したのがチーチェだ。
日本の『ラスカル』がモデルだというチーチェは、とにもかくにも可愛らしい。
ネコミミとウサミミの二種類があるのだが、たれ目と丸まっちいボディーはマス漢製であるとは言え、三百年の伝統を誇る日本の萌文化が土壌になっている。
歴戦の兵士でも、こいつを正面から見るとトリガーを引くのをためらってしまう者がいるくらいだ。
「居た! 一時方向、砂丘の陰」
コスモスが指差した先、砂丘の陰から数匹分のネコミミとウサミミが覗いている。
「もう30メートルは近くないと当らねえぞ」
「大丈夫です、昨日餌を撒いておきましたから、様子を見ながら寄って来るはずです」
コスモスの言う通り、四五分待っていると、五匹のチーチェが砂丘を超えてきた。
「か、可愛い……」
「目を見てはダメです、耳かボディーを見てください」
「わ、分かりました(^_^;)」
宮さまは、努力して、微妙に視線を変えられる。
見かけは草食系の優男だが、なかなか克己心と自制心のお強い方だ。まあ、そうでなければ、こんな火星くんだりまで避難の足を延ばされることも無かっただろう。
「俺が、左の二匹、コスモスが右の二匹、殿下が中央の一匹を狙います」
「船長、ダメです」
「なんでだ?」
「わたしが三匹、お二人で一匹ずつです。船長、チーチェは三カ月ぶりくらいでしょ?」
「三か月で、なまるような腕じゃねえぞ」
「この三か月で二回バージョンアップしていますから」
「二回もか?」
「ええ、では、呼吸をシンクロさせます」
お互いに気息を計って呼吸を同期させてから、腹ばいのまま、銃口をチーチェに指向させる。
視野の端でコスモスの横顔を捉える。射撃のタイミングを合わせるためだ。
—— いま ——
コスモスの唇が動いて、殿下と二人トリガーを引く。
プシ
パルスライフルの幽けき(かそけき)発射音がして、ネコミミ三つとウサミミ二つの首が宙に待った。
※ この章の主な登場人物
- 大石 一 (おおいし いち) 扶桑第三高校二年、一をダッシュと呼ばれることが多い
- 穴山 彦 (あなやま ひこ) 扶桑第三高校二年、 扶桑政府若年寄穴山新右衛門の息子
- 緒方 未来(おがた みく) 扶桑第三高校二年、 一の幼なじみ、祖父は扶桑政府の老中を務めていた
- 平賀 照 (ひらが てる) 扶桑第三高校二年、 飛び級で高二になった十歳の天才少女
- 姉崎すみれ(あねざきすみれ) 扶桑第三高校の教師、四人の担任
- 本多 兵二(ほんだ へいじ) 将軍付小姓、彦と中学同窓
- 胡蝶 小姓頭
- 児玉元帥
- 森ノ宮親王
- ヨイチ 児玉元帥の副官
- マーク ファルコンZ船長 他に乗員(コスモス バルス ミナホ ポチ)
- アルルカン 太陽系一の賞金首
※ 事項
- 扶桑政府 火星のアルカディア平原に作られた日本の植民地、独立後は扶桑政府、あるいは扶桑幕府と呼ばれる
- カサギ 扶桑の辺境にあるアルルカンのアジトの一つ
- グノーシス侵略 百年前に起こった正体不明の敵、グノーシスによる侵略
- 扶桑通信 修学旅行期間後、ヒコが始めたブログ通信