銀河太平記・043
これが江戸城なら大奥があるところだ。
大奥と言うのは、将軍の跡継ぎを絶やさないためだけの目的で集められた女たちと、その選ばれた女たちの世話をするために集められた千人あまりの女性が詰めているハーレムのようなところだが、扶桑将軍は一夫一婦制なので、江戸城的な役割も施設もない。
代わりに、扶桑随一の文化施設と体育施設が集められている。
半地下になった扶桑ホールの陰を周ると、木立の向こうから馬蹄の響きが聞こえてくる。
ドバカラドバカラドバカラドバカラドバカラドバカラドバカラドバカラドバカラ
馬場のゲートに差し掛かったころに馬蹄の響きはマックスになり、ゲートを潜ると小さくなっていく。
「うわあ」
テルが歳相応に驚いて歓声を上げる。
テル以外は子どものような歓声はあげないけど、正直感動している。
上様は、近衛騎兵を当て馬にして早駆けの真っ最中。
僕らが入った時に、ちょうどゲート前を通過したところなので、僕らは上様の人馬一体で疾駆する姿を一周分見ることになった。
「最後の一周です、しばしお待ちを」
お小姓の本多兵二がポーカーフェイスの横顔で教えてくれる。
兵二とは中学の同窓。
中三の二学期に近習見習いの募集があって、うちの中学からは僕と兵二が応募した。
「おまえの落ち着きは近習向きだ」
日ごろ冷静な父が最終試験の前の晩にポツリと言った。
高校に入るまでは父の意志通りと決めていた僕は「そうなんだ」とだけ答えた。
実際、僕も近習とは、将軍の身の回りの世話をしながら国家の指導者としての資質を磨くものだと思っていた。
指導者に必要なものは冷静な判断力と果敢な行動力。とりわけ重要なのは冷静な判断力だと父は言った。
父も少年のころに先代様の小姓をやっていた。
単に身びいきというのではなくて、息子の僕に適性を見出したのは、若年寄としては当然の感性で私心は無い。
じっさい受験に当って、父が関与してくることはなかった。
応募の書類に目を通しただけで、僕には一言も言わなかったし、僕の受験を人に言った気配も無かった。
それが、最終的に合格したのは兵二の方だった。
兵二は良くも悪くも激しやすい男で、中学でも生傷の絶えない奴だった。むろん、近習見習いの試験を受けるだけあって、成績も僕と並んでいた。
兵二が採用されて、中学の先生たちは残念がっていたけど、父はカラカラと笑っていた。けして、悔し紛れの空元気ではなく「上様も、面白いことを考えられる」と締めくくってお終いだった。
上様は、出来あがった冷静さや知性では無くて、兵二の熱を愛されたのだろう。それはそれで、将来の武官文官として有能有益な人材になるだろうと兵二を祝福した。
その、兵二が日本で見た琵琶湖の湖面のように静かな眼差しで上様の騎走を見ている。
「すごい、もう、これはレースだよ!」
ミクがテルを抱きしめながらジャンプを繰り返している。
ダッシュが馬柵の手すりを握って身を乗り出している。
近衛将校の乗った馬と抜きつ抜かれつしながら第三コーナーを周った。
危うく近衛将校に鼻の先抜かれたと思ったら、第四コーナーを周ったところで追い越した。
近衛将校も、諦めも遠慮もなく馬に鞭を当て、ホームストレッチのゴールに至るまで抜きつ抜かれつを繰り返す。
兵二がゴールゲートの横に立って腰を落とした。
ドバカラドバカラドバカラドバカラドバカラドバカラドバカラ!
砂煙を上げて、二つの人馬の塊が目の前を通過する。
同着だ!
僕たちは、そろって同着を確信したが、すぐ横の兵二は上様の勝利を現す赤旗を挙げた。
「す、すごかった……」
ミクが呆然と一言漏らしただけで、僕たちはクールダウンの為にコースを一周して戻って来られる上様を待った。
「そうか、兵二、わたしの勝ちか」
「はい、上様の勝ちです」
「間違いありません」
少佐の徽章を付けた騎兵将校が、インタフェイスを開いて確認した。
競争の勝敗を兵二の目視にお任せになったんだ。そして、兵二の判定があってからデジタルデータで確認。
ご自分の鍛錬と小姓の訓練と、騎兵将校とのコミニケーションを一度にこなされたんだ。
兵二は、こういう冷静な観察と判断ということが苦手だった。
それが、こんな冷静にやれていることが、僕には一番の驚きで収穫だった。
「では、自分はこれにて失礼いたします」
「付き合わせて済まなかったな」
馬上の近衛将校は敬礼すると上様の答礼を待って馬首を回して、厩舎のあるゲートに向かっていった。
「兵二、盛(さかり)を厩舎に」
「はい」
兵二は、上様から手綱を任されると、盛を引いて近衛将校のあとに続いた。
シュイーーーーーン
二頭のロ馬(ロボット馬)がクールダウンする音が意外に長く尾を引いて消えていった。西の丸の小鳥たちが思い出したように声をあげる。
「すまん、待たせたな。二の丸の東屋で話を聞こう、自転車も曳いてくるといい」
「「「「はい」」」」
二の丸の東屋とは、将軍のプライベート庭園があるところだ。
元気に返事はしたものの、ちょっと緊張の走る僕たちだった。
※ この章の主な登場人物
- 大石 一 (おおいし いち) 扶桑第三高校二年、一をダッシュと呼ばれることが多い
- 穴山 彦 (あなやま ひこ) 扶桑第三高校二年、 扶桑政府若年寄穴山新右衛門の息子
- 緒方 未来(おがた みく) 扶桑第三高校二年、 一の幼なじみ、祖父は扶桑政府の老中を務めていた
- 平賀 照 (ひらが てる) 扶桑第三高校二年、 飛び級で高二になった十歳の天才少女
- 姉崎すみれ(あねざきすみれ) 扶桑第三高校の教師、四人の担任
- 本多 兵二(ほんだ へいじ) 主軍付小姓、彦と中学同窓
- 児玉元帥
- 森ノ宮親王
- ヨイチ 児玉元帥の副官
- マーク ファルコンZ船長 他に乗員(コスモス バルス ミナホ ポチ)
- アルルカン 太陽系一の賞金首
※ 事項
- 扶桑政府 火星のアルカディア平原に作られた日本の植民地、独立後は扶桑政府、あるいは扶桑幕府と呼ばれる
- カサギ 扶桑の辺境にあるアルルカンのアジトの一つ
- グノーシス侵略 百年前に起こった正体不明の敵、グノーシスによる侵略
- 扶桑通信 修学旅行期間後、ヒコが始めたブログ通信