鳴かぬなら 信長転生記
「大橋(だいきょう)さま。ムースが仕上がりました」
鈴を転がすような声がして、案内のそれとは別の小女がお茶とお菓子を捧げてきた。
「あら、うまく仕上がったようね。では、お客人といっしょに試食してみましょう。そうね、あなたたちも、これに合うようにお召し替えしましょうね」
クリン
大橋が指を振ると、二人の小女はメイド服に変わった。
「豊盃でカフェを出しているお友だちに教わりましたの、フワフワで、とても美味しいのだそうです。実験台になってくださいな」
茶道で供されるお菓子は、干菓子と主菓子(生菓子)と決まっているが、このガラスの器に収まっているのは褐色の泡立ち。茶筅で泡立てたばかりの茶に似ているが、これは、食品サンプルのように固まっている。固まってはいるが、卓に置かれた瞬間は小さくフルフルと揺れて、いささかの粘りがあるようにも見える。
「ババロアに似ていますが、ゼラチンを使っていません。どうぞお召し上がれ」
リュドミラは、ちょっとたじろいだような顔をしている。食に関しては保守的なんだろうね。
「いただきます」
小さく手を合わせて、一口いただく。
「……口の中で溶けるよう……いえ、解けると書いた方が適切ですね。ふんわりと閉じ込められていた甘さと、チョコの香りと、ほんのりした香ばしさが解れて、とても新鮮です」
「そうなのか?」
リュドミラも、おそるおそる一すくい口に運ぶ。
「!……おお、味覚の的のど真ん中を射抜かれた感じだ!」
「喜んでいただけてなによりです(^▽^)。鶏卵とクリームとチョコが最高の塩梅でハーモニーを醸し出してくれますでしょ」
「たしかに、味覚の三位一体です」
これは濃茶にも合うかもしれない。茶道は完成されたものだとする者が多いが、新発見があれば、進んで取り入れるべきだと思う。織部の美意識は絶えず進歩と発見を欲するのだ。
「この庭も、魏・呉・蜀の職人たちに競わせましたのよ。まだまだムースのように昇華するところまではいきませんが、いずれは良いものになるだろうと期待しています」
「そうだったんですね」
癪だけども、信長に似た感性を感じた。あやつの珍しもの好きは、子どものガラクタ集めに似ているが、十に一つほど見事な調和と飛躍を感じさせる。
「それで、こちらのリュドミラさんの胡旋舞を見せていただいて、インスピレーションを感じましたの」
「わたしの胡旋舞に?」
「はい、三国の舞姫たちは器用に胡旋舞を舞ってくれますが、芯のところで力がありません」
「うん、あれでは、酒の蒸気に火をつけたようなものだ。香りはするが、ぜんぜん力が無い」
「そうなんです、リュドミラさんのように大松明のような力がありません。爆ぜるような力が無ければ真の胡旋舞にはならないのです」
「大橋さま、おっしゃる通りです。しかし、リュドミラの胡旋舞は時と場所を選びます。花を愛でる園遊会や、祝言の宴席、老人の慰労などには不向きです」
「そうですね、だからこそ、その塩梅を見極め、他のものと掛け合わせる目が必要なのです。それは、織部さん、あなたの役割だと思います。いかがですか?」
「大橋さま……」
「市での、あなたの商いぶりも見せていただきました。あなたも、今少し大きな所で踊ってみてはいかがでしょう?」
「う…………」
見抜かれている。だけど、けして嫌な感じではない。平蜘蛛の茶釜を初めて見た時の高揚だ。
あの時は目の前に信長が居て――お前も同類よのう――という顔をされ、それ以来、奴に取り込まれたようになってしまった。
その恍惚と危うさが同時に沸き起こってせめぎ合っている。
「どう、いっしょにやって頂けるかしら?」
けして、その嫣然とした微笑みに絡めとられたわけじゃない。
毒食わば皿……まわし。
……下手な洒落が浮かんで、承知した。
☆彡 主な登場人物
- 織田 信長 本能寺の変で討ち取られて転生(三国志ではニイ)
- 熱田 敦子(熱田大神) 信長担当の尾張の神さま
- 織田 市 信長の妹(三国志ではシイ)
- 平手 美姫 信長のクラス担任
- 武田 信玄 同級生
- 上杉 謙信 同級生
- 古田 織部 茶華道部の眼鏡っこ
- 宮本 武蔵 孤高の剣聖
- 二宮 忠八 市の友だち 紙飛行機の神さま
- リュドミラ 旧ソ連の女狙撃手 リュドミラ・ミハイロヴナ・パヴリィチェンコ
- 今川 義元 学院生徒会長
- 坂本 乙女 学園生徒会長
- 曹茶姫 魏の女将軍 部下(劉備忘録 検品長) 曹操・曹素の妹
- 諸葛茶孔明 漢の軍師兼丞相
- 大橋紅茶妃 呉の孫策妃 コウちゃん