銀河太平記・135
劉宏大統領は傀儡です。
切り出したのは、北京から帰って、首相官邸に入ってからだ。
北京では、どこに目や枝が張られているか分からず口に出来なかった。帰りの輸送機の中でも口にすることは憚られた。
東京と北京の往復にはアメリカ政府の擬装輸送機を使った。同盟国のアメリカだが、機密情報の全てを知らせてやることもない。機内では、総理のお孫さんの誕生日プレゼントと、最近気にしている胃下垂の対策について話しただけだ。
「ほんとうですか!?」
執務室の施錠がグリーンになると同時に、岩田首相の顔は首相としては落第の赤信号に変わった。
「フェイントをかまして、王春華に挨拶しようと戻ったら、気づいたんでしょう、春華も向こうからやってきました」
「ああ、直接大統領にというわけではないんですね」
情報の確かさを気にしたのではない、大統領に失礼なことがなかったことに安堵しているのだ。もう少しシャンとしてもらいたいものだが、それはおくびにも出さない。
「王春華の体温が七度二分もありました」
「七度二分……風邪気味とかだったんでしょうか?」
「piの直後だったのではないかと思います」
「PI……パーフェクトインストールですか!?」
「いいえ、小文字の方のpiです」
「あ、ああ……」
大文字のPIは文字通りのパーフェクトインストールのことで、二十三世紀の錬金術とも言われる。
人の能力や知識だけではなくソウル(魂)そのものをインストールすることで、いわば、人の魂をそのままに義体に移し替えることで、不可能とされている。やれば、元の肉体は死んでしまうし、それに耐えられる義体も作れないとされている。道義的な問題もあって、国によっては研究することさえ法律で禁止している。
満州戦争で瀕死の重傷を負ったわたしは、正念場の戦闘指揮をするためにJQにPIさせた。奇跡的な成功なのだが、元の体は直後に死亡しているので、厳密には成功例としては扱われない。PIした方の義体も先年死亡(回復不能の故障)したことにして、ダミーをモスボール保存してある。天文学的な確率で成功したわたしでも、寿命は二十年余りということにしてある。
小文字のpiはパーソナルインストールという意味で、その個人に特有の性格や行動様式をインストールすることで、大文字PIの初期作業でもある。
病気や怪我などで身動きが取れない時に、代わりに仕事をさせたりする。大文字のPIと違って、ルーチンワークや通り一遍のコミニケーションしかできない。つまり、新しく人に会って人間関係を築いたり、未体験の状況に対応することができない。言ってみれば、出来のいい留守録のようなものだ。
だから、岩田総理は「あ、ああ……」と安堵した声を上げる。
「ちがうんですよ、総理」
「え?」
「王春華の体に劉宏大統領のパーソナリティーを刷り込んでも、気持ちの悪いオッサンギャルができるだけです」
「あ、そうですね。大統領のパーソナリティーは、大統領そっくりの義体に写さなければ意味が無い……え、ということは?」
「わたしが戻ってくることに気付いて小文字のpiで停まってしまったんでしょう、劉宏大統領と王春華は頻繁に大文字のPIを繰り返しています」
「つまり、どういうことなんでしょう? わたしが会ったのは?」
「本人です。ここ一番という時は元の劉宏ですが、それ以外は王春華の体に入っています。おそらくは負担のかからないように休眠させています」
「そうなんですか……」
まだ分かっていない。
「元の体に戻っている時も、思考能力はかなり落ちています。耳の補聴器はマイクロCPです。あれで補完して、やっと正常に近い思考と振舞いができるんです。制御しているのは王春華です。ですから、ほとんど、あれは傀儡です」
「ということは、いずれは、王春華に完全にPIして政務をとる……そんなことが……」
やっと、総理の頭が回り始めた。
「はい、漢明はメンツを重んじる国です。王春華の姿をした劉宏には抵抗があると思います」
「しかし、いずれは……」
「はい、相当ドラマチックな筋立てを用意して実行に移すと思います」
「たとえば……大統領自らが前線の戦闘指揮を執る。児玉元帥おやりになったように」
劉宏は優秀な軍人で、満州戦争においてはわたしのカウンターパートナーであった。彼の進言や作戦は的確であったが、軍の主流に属していなかった彼のプランが採用されることは稀だった。
戦後、壊滅した軍の秩序が回復したのは、いつにかかって彼の働きがあったればこそで、その功績で政治家に転身し、苦労の末に二期連続の大統領職を務めている。
「それで勝利を収めれば、劉宏は終身大統領になれるでしょう」
「官房長官を呼びます」
総理は、内閣専用のハンベをオンにした。
もう一つ懸念がある。
あれだけのPIを繰り返して、劉宏の頭脳、春華のPCが正常であろうか?
PIに耐えられる義体は、相当スペックに余剰がある。
言い換えれば、その余剰の部分が繰り返されるPIで、どう変化しているか。
気が付くと執務室の窓から南南西の空を見上げている。
あの空の下では風雲急を告げる西之島が、薄情な母国に愛想をつかし始めているのかもしれない。
※ この章の主な登場人物
- 大石 一 (おおいし いち) 扶桑第三高校二年、一をダッシュと呼ばれることが多い
- 穴山 彦 (あなやま ひこ) 扶桑第三高校二年、 扶桑政府若年寄穴山新右衛門の息子
- 緒方 未来(おがた みく) 扶桑第三高校二年、 一の幼なじみ、祖父は扶桑政府の老中を務めていた
- 平賀 照 (ひらが てる) 扶桑第三高校二年、 飛び級で高二になった十歳の天才少女
- 加藤 恵 天狗党のメンバー 緒方未来に擬態して、もとに戻らない
- 姉崎すみれ(あねざきすみれ) 扶桑第三高校の教師、四人の担任
- 扶桑 道隆 扶桑幕府将軍
- 本多 兵二(ほんだ へいじ) 将軍付小姓、彦と中学同窓
- 胡蝶 小姓頭
- 児玉元帥(児玉隆三) 地球に帰還してからは越萌マイ
- 孫 悟兵(孫大人) 児玉元帥の友人
- 森ノ宮茂仁親王 心子内親王はシゲさんと呼ぶ
- ヨイチ 児玉元帥の副官
- マーク ファルコンZ船長 他に乗員(コスモス・越萌メイ バルス ミナホ ポチ)
- アルルカン 太陽系一の賞金首
- 氷室(氷室 睦仁) 西ノ島 氷室カンパニー社長(部下=シゲ、ハナ、ニッパチ、お岩、及川軍平)
- 村長(マヌエリト) 西ノ島 ナバホ村村長
- 主席(周 温雷) 西ノ島 フートンの代表者
- 須磨宮心子内親王(ココちゃん) 今上陛下の妹宮の娘
- 劉 宏 漢明国大統領 満漢戦争の英雄的指揮官
- 王 春華 漢明国大統領付き通訳兼秘書
※ 事項
- 扶桑政府 火星のアルカディア平原に作られた日本の植民地、独立後は扶桑政府、あるいは扶桑幕府と呼ばれる
- カサギ 扶桑の辺境にあるアルルカンのアジトの一つ
- グノーシス侵略 百年前に起こった正体不明の敵、グノーシスによる侵略
- 扶桑通信 修学旅行期間後、ヒコが始めたブログ通信
- 西ノ島 硫黄島近くの火山島 パルス鉱石の産地
- パルス鉱 23世紀の主要エネルギー源(パルス パルスラ パルスガ パルスギ)