漆黒のブリュンヒルデQ
さっきまで玉ちゃんが居たところで高杉晋作が寛いでいる。
「なんだ、あんたか」
「あんたはないじゃろ」
「『しっこく』と言ったか?」
「ああ、しっこくじゃ」
「漆黒なら、わたしの看板だ。何物にも左右されず、何色にも染まらない不退転の決意を示す色だ」
「そのしっこくじゃない、桎梏の方じゃ」
「……難しい字だな」
晋作が空中に書いた字は初めて見る。
この異世界に来るについてインストールされた辞書の中には無い言葉だ。
「桎は足枷、梏は手枷を現す。つまり、くだらんことでがんじがらめになっとるちゅう意味じゃ」
「そうなのか?」
「ああ、がんじがらめじゃ。救済するつもりで戦死者を選んじょったろ。『これが最後の戦いだ。この戦いで死ぬることになるが、これで楽になる。長かった戦いもこれまでだ。やっと、やっと、天国に行けるんじゃぞ』って人にも自分にも言い聞かせてな……ところが、そりゃラグナロクちゅう最終戦争を戦う兵隊を選ぶことじゃった。救済のつもりが、さらなる苦行を与えることになっちょった」
「知っていたのか?」
「ああ、あんたも言うていたじゃろう、野村の尼さんが、いちど松陰神社に顔を出せって」
「ああ、行ってくれたのか!?」
「嬉しそうな顔をするなあ」
「ああ、人が約束を守るのはいいことだからな」
「寅次郎さんは勉強家じゃけぇ、北欧神話のことも調べちょられた。そんで、ブリュンヒルデたぁ桎梏の人なんじゃのぉとため息をついちょられた」
「そうか……」
「おいおい、そこで収まらんでくれ。あんたの桎梏は、もう一段深いんじゃぞ」
「どういうことだ?」
「ブリュンヒルデは、こっちの世界に来て、片っ端から亡者に名前を付けとるじゃろ」
「ああ、付けるというか、思い出させてやるというか……この世界には、戦争で名前まで焼かれた者やら、いろんな事情で名前を失った者が大勢いる」
「名前は大事じゃ」
「神さまが救うにしても『おい、そこのおまえ、助けてやるぞ』では情が薄い。救われる方も『そこのおまえ』では心底からは救われんだろ……戦死者を選ぶときも、わたしはフルネームで呼びかけたものだ」
「そうじゃのう……じゃが……まあ、それはええ。いずれは戻るんじゃろ、オーディンの世界へ。ほんで、またラグナロクで戦わせるために戦死者を選ぶ。その苦労に耐えるための休み。これは、もう相克、二律背反じゃ」
「そうか……そうだな……」
「ほんとうは、分かっちょるんじゃろ。決めるさあブリュンヒルデ自身じゃ……さあ、これで寅次郎さんの言伝は済ました。どうじゃ、アンナミラーズいう雰囲気のええ茶店が品川にあるそうじゃ、ちいと付き合わんか?」
「プ( ´艸`)、天下の高杉晋作がアンナミラーズか!?」
「別にええじゃろが、お仕着せがぶち可愛いんじゃ。提灯袖のブラウスに腰高のスカートが乳の下まで迫っちょってな。健康なお色気に、客足も引きも切らずで、むろん味も天下一品らしいぞ(^▽^)」
「アンナミラーズなら、この秋で閉店したぞ」
「え! 閉店してしもうたか!?」
「ああ、繫盛はしていたが、再開発の為とかでな」
「いやあ、高杉晋作としたことが、烏退治に精出し過ぎてしもうた!」
「そ、そんなに朝寝に忙しいのか(#'∀'#)!?」
「あん……ヒルデ、なにか勘違いしとるで」
「か、勘違い?」
「ああ、儂がやっつけとる烏は、女郎の烏ばっかりやないで」
「ち、違うのか?」
玉ちゃんは、そう言ってたぞ。
「今はな、国定忠治の烏を片付けとる」
「忠治の!?」
「あいつの本性は……まあええけど、とにかく烏もしぶとうて数が多い」
「そうだろうな」
「烏を片付けたら、ちいと時間を巻き戻してアンナミラーズに行かせてもらう。その時にゃあ、また声を掛けるけぇ、付き合え」
そう言うと、後姿で手を挙げ、懐手して消えてしまった。
眼下のグラウンドでは、今日も玉ちゃんが勝ったようで、下級生たちの悔しそうな歓声があがって、昼休の終了を告げるチャイムが鳴った。
漆黒のブリュンヒルデ 第一期 完
☆彡 主な登場人物
- 武笠ひるで(高校二年生) こっちの世界のブリュンヒルデ
- 福田芳子(高校一年生) ひるでの後輩 生徒会役員
- 福田るり子 福田芳子の妹
- 小栗結衣(高校二年生) ひるでの同輩 生徒会長
- 猫田ねね子 怪しい白猫の猫又 54回から啓介の妹門脇寧々子として向かいに住みつく
- 門脇 啓介 引きこもりの幼なじみ
- おきながさん 気長足姫(おきながたらしひめ) 世田谷八幡の神さま
- スクネ老人 武内宿禰 気長足姫のじい
- 玉代(玉依姫) ひるでの従姉として54回から同居することになった鹿児島荒田神社の神さま
- お祖父ちゃん
- お祖母ちゃん 武笠民子
- 高杉晋作 さすらいの烏退治
- レイア(ニンフ) ブリュンヒルデの侍女
- 主神オーディン ブァルハラに住むブリュンヒルデの父