ボロ市の二日目なので 矢張り道具類もかなり売れてしまった様だ。 業者に聞くと 大半売れた残りだと言う。 それでもこの鉋を手に入れた。 300円だった。 台に割れも無くしっかりしているが、刃は幅70ミリ 全長50ミリと 既に使い切った物らしい。 しかしこの刃は 厚みが薄くて 昔の鉋刃の様だ。 それに 裏に漆の様な物が塗って有る。 多分裏を錆びさせない工夫だろう。 良く此処までベタ裏に成らず使い切った物だ。 まあ研ぎの感触でも確かめようと買って来た。 矢張りとても滑らかな柔らかい研ぎ味だった。 刃は台にもぐり込みそうだ。 上手く研げたら少し使って見ようか。 この値段なら 十分納得出来る鉋だと思う。
世田谷のボロ市に来た。 昨日と違い今日は天気も良く、暖かい。 何時ものボロ市とは違う様だ。 その為か 人手は多くて 歩くのも困難だ。 裏道を通って 道具を展示している 何時もの場所に急いだ。 この鑿は 薄鑿の突き鑿だ。 幅は30ミリある。 買った時は錆で銘も読めなかった。 持ち帰って 錆を落とすと 海弘と銘が有った。 始めて 海弘の鑿を見た。 三条の古くから有る 鑿鍛冶と聞いていた。
今まで 見た事は無かったが 今回初めて見た。 これが 世間で言われる海弘の鑿ならば 迷ったが買って置いて良かった。 錆も酷くないし 十分使える鑿だと思う。 これから 更に良く研ぎ直して 使って見ようと思う。
今まで 見た事は無かったが 今回初めて見た。 これが 世間で言われる海弘の鑿ならば 迷ったが買って置いて良かった。 錆も酷くないし 十分使える鑿だと思う。 これから 更に良く研ぎ直して 使って見ようと思う。
この鉋も友達から もらった物だ。 溝の脇を削って 仕上げる鉋だろう。 昔昭和の 30年代には 大工が使うのを見た事が有る。 この鉋は結構使われた物の様だ。 是近は 私も鑿を持っている。 東京の鍛冶屋さんでは無いかと思うが、詳しくは知らない。 結構研ぎ易い刃だった。 それ程錆も無いから 少し研いで OILを塗って そのまま保管する事になる。 多分使う機会は無いだろうと思う。
木工を共に勉強する友達が この鉋を私にくれた。 使わないと言う事だった。 これは 襖や障子の溝をしゃくる鉋だろう。 結構使いこなしが難しいと聞いた事が有る。 電動丸鋸に特別な刃をつけて 溝を切ったり 専用の電動機械が有るから それを使う様になって この手も鉋は使われなくなった様だ。 その為かこの 鉋もそんなに使った様でも無い。 恐らく長く何処かに仕舞われていた物が 何かの機会に出て来て廻り廻って 私の所に来た物だろう。 錆もそれ程酷くないから 大切に仕舞われていた だろう。 刃先に少し欠けが有るが 研いで 台にOILを塗り 多分私も使わないので 参考に保存する事になると思う。
これも流通センター骨董市で求めた。 柄が無いので 800円だった。 この口金は自分が以前購入した物。 業者の包んでくれた宣伝用紙の上に置いた所。 まだ余り使って無いと思う。 是近は私も大工さんからもらった鑿を持っている。 昔は結構使われた物かも知れない。 刃は少し研ぎなおした。 結構硬い刃の様だ。 柄を付けるべく 材料を探している。 樫でなくても良いかな。 上手く柄を挿げられたら 欲しいと言う人にやっても良いか。 まあ自分でも少し使ってからにしよう。
先週金曜日 久し振りに流通センター骨董市に行って見た。 矢張り道具類は少ない様だ。 それでも菊弘丸の大突き鑿が有った。 2丁で5万円と言うので買う気にならない。 そこでこの鉋を求めた。 1500円にまけてもらったが、それでも高いかも知れない。 銘は重勝で 刃は道具曼陀羅にも載っている物と良く似ている。 これ以外に私は2丁の重勝を持っているが、それらは今一と言う研ぎ味だった。 しかしこの重勝は 非常に研ぎ易い刃だった。 刃にはNSと刻印が打ってあった。 これは前の持主が打った物か。 刃幅54ミリ 全長65ミリ程度で まだ充分使えそうだ。 所が台を見ると 古く見せる目的なのか、何か色の付いたニスの様な物を全体に塗ってある。 余計な事をする物だ。 これじゃ鉋もだいなしだ。 それに刃をやけに立てて仕込んである。 削ると言うより引っ掻く感じの仕込だ。 どう言う物を削る目的で作った物か。 前の持主の自作台と思われる。 樫の木の節の部分を使ったらしく 台尻の上面の一部 節の部分が欠けてしまっている。 こんな物を1500円も出すのは、重勝の名前を 知っているからだが、この虎のマークの重勝は本物じゃないと言う人もいる。 まあ切れれば良いわけで 使って見たいが この台を修正するのは、少し時間が掛かりそうだ。
これは記念館の2階に有った子供椅子だ。 聞く所では大石 眞子の関係者から寄贈されたと聞いた。 これも手の込んだ椅子の様だ。 ホゾが緩んでいるが、子供が座っても大丈夫だろう。 これも出来れば試作したいと思い 寸法を計って来たが 後で見ると 採寸の不足な部分が幾つか見付かった。 写真を見ながら適当に寸法を決めて作らざるをえないだろう。
記念館には 伊作ゆかりの家具が幾つか置いて有る。 その中で子供の椅子を2脚紹介してみよう。 初めに紹介するのが 私がコピーを製作している 食堂で使う子供椅子である。 古い物で座面が大分傷んでいる。 私が写真で見て想像していたよりはるかに手のこんだ椅子の様だ。 家族が集まって食事をする そう言う時間を大切にしていたのだろうど想像できる。
神倉神社は小高い山の中腹に有る。 急な石の階段を登ると ごとびき岩と言う 大きな岩が有る。 この岩は何となく がまの形に似ている。 当地ではがまの事を ごとびきと言うんだと 教えてくれた。 その巨岩の下に 神社が有る。 古来から自然の巨岩には 神が宿るといわれている。 この巨岩に神が降臨して、その神を新しい宮を作り移した。 それを熊野速玉大社と言われ 当地新宮の 名前は 新しい宮から来ているとも言われていると聞いた。 南には 黒潮流れる 熊野灘となる。 海が大分後退して熊野灘はまでは あるくと30分程度掛る。 まあそれでも小さな街という事だろう。
夜 飲み屋で西村伊作の話をしたら、飲み屋の主人が 丹鶴小学校の門は伊作の設計した物だと言う。 そこで翌朝 見に行った。 石のアーチ状の門は 伊作の家にも似た物が有った。 小学校の校舎は既に建替えられて コンクリートの普通の校舎に変わっていた。 この小学校は 現在統廃合で今は使われておらず 空き家だと言う。 それでも 昔この小学校に通った 人達の思い出の為も有るのか、この石の門は残る様だ。