2008年7月21日海の日で休みなので、久し振りに国立博物館に行った。例の巨匠対決を見る為だ。幸いに曇りでそれ程暑くなく助かった。 それにもっと混雑すると予想したがそれ程でもなかった。 我国のお宝を集めて対決形式で見るという企画は悪くないが、館内は暗く目を凝らさないと良く見えない。だから私はすぐに目が疲れて集中して見られなかった。 巻物や屏風より仏像の方が面白かった。もう少し明るくならないか。
2007年12月21日風邪気味にも関らず京都東寺の仕舞の骨董市に出かけた。朝も早く行ったので寒さが身に応えた。 おかげで風邪をこじらせて酷い目にあった。今考えると楽しい思い出かな。この市では、骨董屋よりも正月を迎える準備の食料品をや衣料品を売る店の方が数が多い様だ。人込みもすごい。めぼしい収穫は無いがそれでもこの鉋を見付けた。店番の女性が100円でと言うので購入した。 確かに安いが刃の錆がひどく、台の頭も割れている。 みすぼらしい姿で確かに買う人は居ないような品物だ。刃には保険と右から左に横書きしてあり、戦後の物にしても古い物かも知れない。 台には桐善と焼印があり、道具を扱いなれた大工が使った物かも知れない。 台に契りを埋め込み、刃は研ぎ直してみた。 かなり硬い焼きのしっかり入った刃の様だ。 よく見ると鋼の部分に毛筋ほどの焼き割れが有る。 焼入れの熱処理が良くなかったのかも知れない。だから余り使わず転がっていた可能性が高い。 台も整備し刃も研いだので少し使って見ようと思ったが、材の硬い部分に当たり刃が欠けると研ぎ直しが面倒なので試し削りは行わず、油を塗ってそのままコレクションした。裏刃も耳を折り曲げて差し込むタイプでは無く、裏刃に丸い凹みを二箇所付けた普段余り見ないタイプだ。京都で見付けたから三木辺りで作られた物かも知れないが、詳細はわからない。尚豊国の刻印には朱を入れてあった様に見えるがこれも余り見かけない。
2008年7月19日梅雨明け宣言も出て暑い日差しの中、小田急で大和骨董市に出かけた。 久し振りの大和だ。 朝まだ8時を過ぎた程度だが、既に客で一杯だ。駅から東側に広がる通路の一番端にこの骨董屋はいた。 お店には何本かの鉋が有ったが、どれも錆、台割れ等実用になる物は無い。 それでも中からやっとこれを探し出した。刃には登録397320号と銘の江戸城と凡字が刻印されている。残念だが刃の鋼の残りは後2センチ程度でもう少しで寿命かも知れない。台は余り汚れも傷も無く丁寧に使われていたらしい。台のねじれも無い。裏刃にも江戸城の刻印が有るから、台と刃と揃った物とも思える。それ程古い物では無く、昭和40年代か50年代程度だろうか。 刃を研ぎ直して台を調整して切れ味を確認して見たい。 その後台を整備し 刃の裏押しと研ぎ直しを行い、しばらく使ったが思った程切れない。 刃が短くなって台にもぐり調整が難しいので引退させ引き出しにしまった。
この鉋はその後 再度台を整備して刃を研ぎ直して切れる事を確認した。私の研ぎが
まずかったらしい。 最近になってこの刃の作者は田中省吾氏らしいと判明した。氏は
既に亡くなったと聞いている。 従ってもう彼の鉋 韋駄天は手に入らないなと思って
いた。 所が思いもかけず 彼の鉋は既に私の手元に有ったのだ。 残念だが刃が短く
存分に使う事は出来ないが、そうと判れば 大切にしてあげたい。
この鉋はその後 再度台を整備して刃を研ぎ直して切れる事を確認した。私の研ぎが
まずかったらしい。 最近になってこの刃の作者は田中省吾氏らしいと判明した。氏は
既に亡くなったと聞いている。 従ってもう彼の鉋 韋駄天は手に入らないなと思って
いた。 所が思いもかけず 彼の鉋は既に私の手元に有ったのだ。 残念だが刃が短く
存分に使う事は出来ないが、そうと判れば 大切にしてあげたい。
この鑿は2008年6月1日の東郷神社骨董市で購入した。 一本500円で3本買った。向待鑿 左から4分3分5分と比較的使用頻度の高い物だ。 銘は左から 宗武 千日五郎 俊弘丸となっている。刃は薄く鋭利な角度の刃付けがされている。穴堀と言うよりわずかな修正に使ったのではないかと思う。 まだ研いでないが、いずれ研ぎなおして使って見たい。 穴は角鑿盤で掘るから使う機会は余り無いし、鑿もかなり持ってるのにまた買ってしまった。 鑿を入れる箪笥が必要になって来た。
この鉋は何処で購入したのか忘れてしまった。 もう10年以上前に買った物と思う。台下端の刃口も開いているし、刃も使い込まれて、残りわずかだ。これなら買う必要は無かったかも知れない。 刃は研いで見ると硬い刃だ。 使って見たが余り切れない。 台の調整、刃の研ぎどれも充分ではないから、これで判断は出来ない。刃には特選、第xxx号、登録商標の文字が秀国の廻りに刻印されている。台は見た所、大工の自作の様に思える。 裏刃には永弘作と銘がある。 だとすると越後の永弘の鉋だと言う事になるが。 さてどうだろう。 いずれにしても古い鉋だろうと思う。 この丸い頭の部分の作りは古い鉋の特徴ではないだろうか。珍しい物なら良いのだが。
2008年7月6日久し振りに富岡八幡宮骨董市に出かけた。暑い日だ。一回りして見たがめぼしい物が何も無い。 もう帰ろうかと思ったが隅にお店を出しているおばさんと立ち話をした。 山形から来たのだと言う。東京で開催される骨董市を廻って、出店しているが、余り売れないと嘆いていた。和服の販売が主力らしいが傍にガラクタが置いてあり、その中から、鉋刃を探し出した。たいした物では無いと思うが、せっかくだから何か買おうと無理に探し出した。 刃幅36ミリ長さ85ミリとごく一般的な物だろう。 まだ錆を落として研いでないが一応きれいに研ぎなおして、その後適当な台を探すか自分で作る事になる。 台を作るのは面倒だ。
2008年6月28日 タイバンコックのスクンビット通りにある手作り家具のお店 アークトレーディングを見学した。この店は日本人の経営で自前の工場を持っていると言うのでそこを見学に行った。 バンコック北約50キロの所にある工場は かなり大規模な家具製造工場だった。 もともと日本向けの床柱の製造から始めたが、今は厨房家具が多いようだ。 それでもお茶に使う水屋や唐木家具も有った。 材料はチーク 花梨 タガヤサン ゴムの木 ユウカリの木等を使うらしい。タイのチークは伐採禁止でベトナムやミャンマーから輸入らしい。一通り話を聞いて 工場を見て周り お土産にこの花梨と鉄刀木をもらった。タガヤサンはお箸になるし花梨はドア等に加工される。 希望があれば日本にも出すが、家具の代金以上に輸送費が掛り難しいだろう。
この鉋は今から5年ぐらい前だと思うが、高幡不動骨董市で購入した。 正確には思い出せないが500円ぐらいだったろう。 安い方だと思う。 この鉋を買うときに、他に2丁同じ銘の使い込まれて磨り減った鉋が有った。この一丁だけがまだ使えそうなのでこれを選んだ。しかし使って見ると思う様に切れない。 仮に三丁鉋が有っても職人なら切れる物に真っ先に手が伸びるから二丁は使い込まれこの駄作が残ったとも考えられる。 刃を研いでよく見るとわずかな焼き割れが見られる。 焼入れの処理が不味かったのかも知れない。 しかしもう少し使い込んで見ないと本来の素性は見極められないだろうな。 宮本正夫作に宝龍があるが 同一人物の作かどうか不明。 台は黒くなり制作後の時間経過を感じさせるが、恐らくは戦後の物だろうと思う。