あのコルトを狙え

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玄岳 氷ヶ池観光牧場探索記 最終回

2011-01-31 20:40:09 | 熱海高原ロープウェイ

思いのほか長くなってしまった探索記も今回が最後。

二つ目のガードを通り抜け出た場所は道路脇。

 
人が通行している気配は全く見られなかったがかつてはハイクコースだったのだろうか。

野生動物の糞もあった。 

ここは伊豆スカイラインの玄岳料金所へと通ずる道路脇。

登って行くと更にガード。


どこに続く道なのか、それは分からないが場所的に玄岳山頂へと

つながっているのかもしれない。


ロープウェイに乗ってきて玄岳山頂に行く場合のハイキングコースなのか?

そうか、ここも忘れられてしまったかつてのハイクコースなのだ。
いつかはこの忘れられてしまったハイクコースを歩き玄岳山頂を目指してみたい。

さて、玄岳料金所脇の廃道入口に向かう

 

脇にガードレールで閉ざされた道がある。

この道の下に更に埋められた?道路跡が残っているので降りてみる。

(てっちんさん撮影)


(てっちんさん撮影)

車上からでは分からないが崖を覗くとにガードレール跡があった。


昔のカタログでよく見かける海岸有料自動車道にあるタイプだ。

↑三菱コルト1100のカタログより。
単車で転倒したら終わりだろう、と思えるこのタイプを実際に見るのは初めてだった。

(三つ目のガード画像にも当時のガードレール支柱跡が見える)

こちらは昭和42,3年頃の熱海新聞に載っていた玄岳インターチェンジ。

↑黄色の矢印下にある建物は熱海高原ロープウェイの下駅舎。


道路部分を拡大



料金所を出て下へ降りる道が見えます。

入り口に障害物のような物が見えるような気もしますが・・・

インターチェンジ周辺道路も現在とはちょっと違います。

更に当時のドライブガイドには
「池まで車で降りられる」とある。

「車で降りられる」

とはこの道路跡の事を指すのではないだろうか。


本連載中にセキトラさんから頂いたコメントに

「潰えた夢のあとさき探索」と書かれていた。

殆どの人から忘れられた高度掲載成長期の熱海の夢。

今回の道路跡発見はその潰えた夢の跡に触れたようだ。

 

昭和43年1月1日 熱海新聞より

おわり

追記 

コゴローさんへ

これですね↓  ↓  ↓

 

コメント (15)
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