あなた
石楠花の葉っぱが細いまま、そうとう凍れているのですね。
ピカピカではないけど、雲のきれまから柔らかい陽ざしがときどき顔をだしている。
随分日が長くなり、耳をすますと微かにかすかに、春の音が聞こえてくるよう…に。
でも、この雪の量です。まだまだ、「春」は遠いのでしょう…
平家物語 祇王
白拍子の祇王(妓王)は、時の権力者清盛の寵愛をうけ、時の人でした。
そこへある時若い白拍子の仏御前が清盛の西八条邸を訪ねてきます。
清盛は新しくあらわれた仏御前の歌や舞にすっかり魅了され、祇王を追い出し、仏を迎えます。
祇王は 萌え出づるも枯るるも同じ野辺の花いずれか秋にあはで果つべき
(草木が春に萌え出るのも(仏御前)、冬に枯れるのも(祇王)、元は同じ道端の花です。どうして秋(飽き。清盛に飽きられること)
の凋落を逃れられましょう。)という歌を残し、清盛の西八条邸を去っていきます。
その後祇王は清盛の館へ呼ばれ、仏のために舞を舞えと言われます。祇王は屈辱に耐えながら、
仏も昔は凡夫なり 我らも終には仏なりいずれも仏性具せる身を へだつるのみこそ 悲しけれ
(釈迦も昔は普通の人でした。私たちも終には仏となるのです。 いずれも仏の本性を持つのに、それを隔てるのは悲しいことです)
といって舞います。
祇王は自害したいと言い出しますが、母のとぢにいさめられ、出家を決意します。
祇王と妹の祇女、母とぢの三人は嵐山の奥に庵を結び、念仏三昧の暮らしを送っておりました。
ある晩、その庵を訪ねてきた者があります。開けてみると頭をまるめた仏御前でした。
自分を取り立ててくれた祇王を貶めてしまったこと、 自分もいつか同じ道をたどるだろうことを涙ながらに語ります。
祇王は仏を許し、四人はひたすら念仏をとなえ、極楽往生を願いひっそり暮らすのでした。
平家物語も読む件りは決まってて、なんかいも、何かいも同じ件りを読んでは泪し…そんな自分に呆れています。
今日の日もそろそろ、夜の帳が降りてきそうです。
また長い夜とのお付き合いです。