続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

画家のアトリエ。

2012-11-24 06:25:23 | 日常
 昨日は横須賀美術館の沓沢先生の引率の元、画家朝井閑右衛門の田浦のアトリエ跡を訪ねた。電線風景など、一連の作品の位置関係を検証・・・。
(今はこうだけどかつては確かに・・ああ、描かれたのはあの樹木ですね・・・)などと、アトリエがあった近辺の景色を作品に照らし合わせながらの探索。

 その後、小雨降るなか鎌倉に向かい、昼食後は江ノ電で一駅目より徒歩・・・。田浦から転居後のお住まいであるその家は当時の面影を残したままの風情。板塀、門をくぐると、まるで、小さな林・・・敷石を踏みしめて玄関・・・玄関らしきものがない。低く落した瓦屋根の下の濡れ縁がこの家の入口になっている(らしい)。極めて広く開放的ではあるけれど、この家の主人からは客人の動向が逐一お見通しという造りである。
 しかも濡れ縁の内側には加工された柱ではなく自然の樹木が設えてあり、ほかにも在り得ない位置にもう一本ガラス戸を遮って床から天井までに自然木が・・・。
「ガラス戸は全て端(戸袋)に収まるようになっています。父は(自分の意向を通すのに)よく大工さんと喧嘩していました。」とは、ご息女のお話。
 座敷からは全開したガラス戸により遮るものなく庭の光景が室内に配した自然木と一体になって見えるという構築。大きな透明ガラスがはめ込まれているので、雨風酷寒の折は閉めてあっても開放的ではある。低く垂れたようにさえ見える瓦屋根は隣家などの景色を遮断するためのようで、座ればズバリ林野の景色であり、家の内部さえも林野の一部と化した造り(景色)であるのには少なからず驚いてしまった。強いこだわりは作品ばかりでなく日常の生活空間にまで及んでいたらしい。

 家屋(屋敷)全体は、右半分は西洋風、左は和風・・・和洋折衷ではなく和洋折半といった感じ。アトリエはもちろん洋風であり高い北窓からの大きな採光ゆえに屋根は片屋根である。梁は二本、やはり長い自然木が通っているのも圧巻。
 アトリエ内には数え切れないほどのアンティーク人形、小さなものから大きなものまで・・・豪華なメリーゴーランド(半径一メートル強、当初は動いて楽曲も奏でられた由)もあり、馬に乗った人の着衣も毛糸や生地での手作り。異国の布地の収集、鉄製のアンティークの自動車の数々。
「あらっ」
「えっ、すごい!」
 眩暈とため息・・・描きかけの画布・・・画家の吐息が聞こえてきそうなアトリエ。


 一方の和室には重厚な和箪笥、彩色の墨画、奥座敷には茶室の設えもあり、客人にはお抹茶なども自ら振舞われた粋人とのこと。各二部屋に並べられた大きめなお膳は一人膳でもあり、連ねて応用の利くもの。人を招くことも厭わなかったのかもしれない。
 横須賀美術館関連の見物人ということで、歓待され、お茶やお菓子のおもてなし。(こちらは恐縮の至り)


 もっともっと感想はあるけれど、とにもかくにも嬉しいツアー(イベント)でした。

『洞熊学校を卒業した三人』15。

2012-11-24 06:12:48 | 宮沢賢治
 夜あけごろ、遠くから小さなこどものあぶがくうんとうなってやって来て網につきあたった。けれどもあんまりひもじいときかけた網なので、糸に少しもねばりがなくて、子どものあぶはすご糸を切って飛んで行かうとした。

☆世の縁(つながり)が消える鬼(死者の魂)については、盲(道理や知識にくらい)。
 妄(うそ)の死を象(目に見える形)に思/考えるが、死の説(はなし)を秘(かくす)構(しくみ)になっている。

『城』1104。

2012-11-24 05:56:14 | カフカ覚書
なかにはいって、眼が慣れてからでないと、こまかな見わけがつかなかった。
「やっと来てくださいましたわね」と、お内儀は、元気のない声で言った。手足をのばして仰向けに寝ていたが息をするのがいかにも苦しいらしく、羽ぶとんを足もとへはねのけてしまっていた。

 Erst(最初)→Vast/荒涼とした。
 やっと/Endlich→Ende/死。
 羽/Feder→Fehde/不和、汎目、敵視。
 寝ていた/lag→Lage/憤怒、興奮。

☆荒涼とした中に入ると、機関には個々の相違が内在していた。
 「あなたに死がやってきた」と監視人は言った。あなたの憤怒が苦手で、背を向け境界を定めたが、生命の創造性は明かに苦痛である。縁の切れた敵視(反目)は、背後に撃退してしまった。