続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

Ⅱ-4-p1《地下のデイジー》②

2020-01-07 07:14:09 | 美術ノート

 地下のデイジー・・・地下に花は咲くだろうか、土を圧して花びらが開くことなど考えられない。絶対に有りえない物理的には実在しない幻の花である。
『不思議の国のアリス』のように木の根の下深く(地下)にまぼろしの空間(世界)が存在するということだろうか。

 精神界の扉を開く鍵としてのデイジーである。デイジーの放射状に拡散する花びらは太陽を暗示させる。
 足下に引きずり込むような謎めくタイトルは、一時的にせよデイジーの花を想起させるが、現実的な解釈からすれば否定されるべきものでしかない。しかし、この正方形の板は明らかに人為であり、自然を離れたものである。人為、つまり人の心理を触発させる関係性を問うものである。

 地下に眠る世界を感じよ!という指令でもある。
《無いもの》を見る。物理的に存在する世界、視覚に入るものを疑似的に描写することは学習されているが、《無》についての決定的な立証はない。

 しかし、若林奮はその胸の扉を叩いている、「見えないものを注視せよ」と。
 非存在こそが、精神の支柱たる《神の領域》としての実在であると。


 写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館


『忘れえぬ人々』62.

2020-01-07 07:06:58 | 国木田独歩

その代わり僕も遠慮なく話すよ。何だか僕の方で聞いてもらいたい様な心持に成って来たから妙じゃないか」


☆題(テーマ)の目(ねらい)を掩(隠し)慮(あれこれ思いめぐらし)和(調合する)。
 目(ねらい)の法(神仏の教え)は要であり、芯(中心)である。
 常に記は冥(死者の世界)である。


『城』3331。

2020-01-07 06:43:01 | カフカ覚書

ところが、亭主は、これがめざす目標であるかのように、Kのそばでぴたりと足をとめた。お内儀も、すぐに追いついて、夫婦でKに食ってかかった。Kは、泡をくっていたので、相手の非難の意味が理解できなかった。


☆しかしながら、主人はこの目的のためにKのそばで留まった。二人とも同じように非難を募らせたが、Kは急いでいたのでこの非難を驚くことに理解できなかった。