続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『近接する金属の中に水車のある独身者の器具』⑤

2020-01-31 06:43:11 | 美術ノート

 接近する金属/金属事態に動く意思はなく、金属(固体)の中に水車(水/液体の流れを要するもの)が有ろうはずもない光景。想像しただけでも空中分解するしかない言葉の不条理は、想像上(空想)では物理の条理を軽く肯定してしまう。

 常識(経験上積み重ねられたデータの集積)は疑う余地がないように見える。
 あり得ない光景は存在しない、存在するから光景なのである。
 ならば有り得ない光景を創作提示する、言葉と物の関係は《在り得ない光景》を展開する。否定されるべきものとして・・・しかし、鑑賞者は首を傾げつつも肯定の要素を見出すことに努め、遂には意味不明なまま謎として放置してしまう。

 ここに在るのは《否定》そのものであり、拒否を前提としている。見る価値の無いものとして…どこを探っても見出される条理は欠片もない。
 負の産物、正の作品はあふれている。存在そのものが正の領域にあるからである。その領域への反感・・・デュシャンの放った矢は虚空に的がある。

 写真は『DUCHAMP』より www.taschen.com


『忘れえぬ人々』79.

2020-01-31 06:34:07 | 国木田独歩

菜の花と麦の青葉とで錦を敷たような島々がまるで霞の奥に浮いているように見える。


☆納(とりこむ)化(形、性質を変えて別のものになる)で、幕(場面)の抄(注釈をつけること)が要である。
 襟(心の中)の私記は套(おおっている)。
 化(形、性質を変えて別のものになる)で、往(その後)二つが現れる。


『城』3348。

2020-01-31 06:18:16 | カフカ覚書

あの男だってやっぱりだれの眼にも明白な事柄をだんだんにわかってくれるだろう、自分たちも苦しいが、あの男にしても、あんなみすぼらしい格好を衆目にさらしながら朝この廊下にたっているのは、耐えがたいほど苦痛であるにちがいないー


☆しかし、遂には誰の目にも明確になり、我慢すべきであると、次第に認めざるを得ないのです。ここでのやり方、モルグ(身元不明者の死体公示所)に立たされているのは恐ろしく不適当であるに違いありません。