続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮 VALLEYS③

2020-01-17 06:58:39 | 美術ノート

 VALLEYS・・・谷底である。世界の断面の狭間に位置し、時代の変遷の層を感じる空気感・風に吹かれている。
 両斜面は登るため、登るべき斜面ではなく《時間の層》であり、人力の及ばない古代からの人知の集積である。ゆえに通行人(鑑賞者)との親和性を持たず、触ることさえ拒否するような異質さ(反自然)を放っている。
 鑑賞者はこのVALLEYSという作品を通過するとき、奇妙な圧迫感を感じる。両側からの崩壊、なだれ込むような危機感がひそかに潜在しているのを感じざるを得ない。上昇より下降のエネルギーが内在している。換言すると束縛・包囲の空気感である。

 ただ見上げた時の限りなく広がる空(解放感)への眺望は救いである。しかし、飛び上がる(浮遊)という選択肢はなく重力下である現実を認識せざるを得ない。
 人はこの状況下で生き、進まねばならない。進行は義務であるが、目的地点については未知なままこの世界観の中を現実と錯覚(幻視)を交えた時空を行かねばならない。

 生きるとは世界(空気)を振動させつつ不可逆を行く呼吸(エネルギー)の放出である。
 VALLEYSは、行かねばならない道であり、究極、死生観を内在するものである。


 写真は『若林奮 VALLEYS』展・図録より 横須賀美術館

 


『忘れえぬ人々』69.

2020-01-17 06:43:26 | 国木田独歩

「親とか子とか又は朋友知己そのほか自分の世話になった教師先輩の如きは、つまり単に忘れ得ぬ人とのみはいえない。


☆真(まこと)の詞(言葉)の誘いには法(神仏の教え)がある。
 質(内容)の記は字の部(区分け)を省(注意して見ること)で和(調合する)。
 叙(述べる)詞(言葉)は、専門(ひたすら)肺(心の中)にある。
 叙(述べる)譚(物語)は、亡(死)を解く図りごとである。


『城』3338。

2020-01-17 06:30:59 | カフカ覚書

Kがすべてのことを納得できるまでには、ずいぶん時間がかかった。廊下にいたことがいけなかったのである。一般には、彼なんかせいぜい酒場までしかはいれない。それも、お情けで、禁令をおかしているというのだ。


☆Kが総てを理解するまでには、大変な時間がかかった。一般にはせいぜい酒場(死の入口/周囲)までしか入れない。それも、お慈悲による不正な方法だというのだ。