『近接する金属の中に水車のある独身者の器具』
ほとんど意味不明のタイトルである。
金属(金・銀・銅・鉄・アルミニュウムなどの金属元素、およびその合金の総称)は何に近接されるのか、金属が何かに近接するのかが不明である。
金属(固体)の中に水車があるとして・・・見えるだろうか。(見えているかの作品である)
しかもそれらは、独身者の器具だという、独身者の器具などというものとは何だろう。独身者とはカップル(男女)でなくそれぞれであるとしても、男・女であれば並べてみんなに共通する。
器具に至ってはますます対象物が定まらない。
作品は透明ガラスを鉛線で囲い、中に水車らしき図を油彩で描いている。しかし、水車に安定はなく、水(川の流れ)もない。
鉛線は半円形であり、回転の仕掛けがあるので、球体の想起が可能であるが、この作品を回転させた時に見えるものは、水車らしきものの消失である。
この作品に見える対象物は、回転を誘導する装置によって、対象を失うという仕掛けである。
タイトルと作品は確かに存在するが、その世界に一歩でも踏み込もうとした途端《霧消》を余儀なくされる。
『存在するが、非存在である』そういう実態のない不思議な時空を持つ驚くべき作品である。
写真は『DUCHAMP』より www.taschen.com