続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『近接する金属の中に水車のある独身者の器具』

2020-01-27 07:01:40 | 美術ノート

   『近接する金属の中に水車のある独身者の器具』

 ほとんど意味不明のタイトルである。
 金属(金・銀・銅・鉄・アルミニュウムなどの金属元素、およびその合金の総称)は何に近接されるのか、金属が何かに近接するのかが不明である。
 金属(固体)の中に水車があるとして・・・見えるだろうか。(見えているかの作品である)
 しかもそれらは、独身者の器具だという、独身者の器具などというものとは何だろう。独身者とはカップル(男女)でなくそれぞれであるとしても、男・女であれば並べてみんなに共通する。
 器具に至ってはますます対象物が定まらない。

 作品は透明ガラスを鉛線で囲い、中に水車らしき図を油彩で描いている。しかし、水車に安定はなく、水(川の流れ)もない。
 鉛線は半円形であり、回転の仕掛けがあるので、球体の想起が可能であるが、この作品を回転させた時に見えるものは、水車らしきものの消失である。

 この作品に見える対象物は、回転を誘導する装置によって、対象を失うという仕掛けである。

 タイトルと作品は確かに存在するが、その世界に一歩でも踏み込もうとした途端《霧消》を余儀なくされる。
『存在するが、非存在である』そういう実態のない不思議な時空を持つ驚くべき作品である。


 写真は『DUCHAMP』より www.taschen.com






『忘れえぬ人々』75.

2020-01-27 06:39:40 | 国木田独歩

「ただその時は健康が思わしくないから余り浮き浮きしないで物思いに沈んでいたに違いない。

 時はジと読んで、二(弐)。
 健康はケン・コウと読んで、兼、講。
 思わしくはシと読んで、詞。
 余りはヨと読んで、予。
 浮き浮きはフ・フと読んで、普、二。
 物思いはブツ・シと読んで、打つ、詞。
 沈んではチンと読んで、陳。
 違いないはイと読んで、委。

☆弐(二つ)を兼ねている講(話)である。
 詞(言葉)は予(あらかじめ)普く二つを打つ(語る/述べる)。
 詞(言葉)を陳(並べ)委(成り行きに任せる)。


『城』3344。

2020-01-27 06:27:05 | カフカ覚書

ところが、あなたの振舞いときたら、せっかくの予防策を頭からばかにしたようなものじゃありませんか。幽霊だって、朝になったら消えていきますよ。だのに、あなたは、両手をポケットにつっこんだままいつまでも残っていらっしゃる。まるで自分は退散しないで、あの廊下が部屋とお役人もろとも退散してくれるのを待っているかのようにね。


☆Kの考えを取り下げることはすべての予防措置を嘲笑されたも同じです。幽霊さえ朝には見えなくなります。しかしながらKは共同体の判断は誤りであり、あそこ(来世)に死のテーマ(問題)が除去されることがないので、大勢の人たちは(その問題が)除去されるのを待っているのです。