続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

Ⅲ-3-1 雰囲気

2020-01-08 07:02:36 | 美術ノート

   Ⅲ-3-1 雰囲気

 動物(犬?)と人が向き合っている。しかし何故か高い壁(草原を切断し層を人の頭上まで引き上げている)が立ちはだかっている。
 あくまで(雰囲気)である。

 これは相対する者の目線の高さによる景色の相違である。
 二者が相対する位置関係にある時、二者は全く異なる景色を見ており、共有ということなない。
 自分自身の視野が絶対であって、相手の視界などは感知できない。

 しかし、わたし達は相対する者と遭遇した時、同じ世界(空間)にいるという共通観念(雰囲気)のもとに、見ている景色まで共有していると錯覚するが、それをことさら分析などしない。

 曖昧である雰囲気によって、対峙する相手も同じもの(景色)を見ているような錯覚を抱くが、あくまで《雰囲気》である。


 写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館


『忘れえぬ人々』63.

2020-01-08 06:44:47 | 国木田独歩

 秋山は火鉢に炭をついで、鉄瓶の中へ冷めた煖陶を突込んだ。


☆終(死)の懺(罪の赦しを乞うこと)で化(教え導くこと)の初の譚(話)である。 
 徹(貫き通して)敏(頭を素早く働かせ)誅(罪を責め咎める)。
 霊(死者の魂)の艱(悩み苦しみ)を問う。
 突(つきあたる)拠(より所)がある。


『城』3332。

2020-01-08 06:28:43 | カフカ覚書

ましてや、例の役人のベルの音がまじってくるし、ほかの部屋のベルまで鳴りだしたから、たまったものではなかった。いまではもう必要があって鳴らしているのではなく、遊びのために、おもしろくてたまらないから鳴らしているのだった。

☆大勢の人たちの混ざる鐘とは別々に鳴りはじめ、それどころか、もはや必要のためではなく楽しみのために鳴らしているのだった。