この『停止原基の綱目』はわたくし(デュシャン)の『停止原基の綱目』であって他には通用しないものである。つまり個々人の中に潜む停止原基の綱目の一例である。
わたくしのなかの細大を含む大要である。
基点も綱目もすべて任意の方向を示し、意思によって停止の点を打っている。綱目は精神の領域であり、自分が残した仕事(作品)は背後に残っている。その背後の闇は未知であり、未来とも過去ともつかない、あるいは過去・現在・未来と結びついている見えない不確定の領域である。
つまり起点(基点)は帰結点でもある。
『停止原基』とは、意図の制御が効かない宿命の上を生きていく自分が、意図して打つ停止の点であり、宿命に拮抗する自由な意思である。
証明不可の『停止原基の綱目』を、デュシャンは決定し認可した。捕らえようとして捉えられないものへの挑戦であり、選択である。
写真は『DUCHAMP』より www.taschen.com
「ところで尤も僕等の感を惹いたものは九重嶺と阿蘇山との間の大窪地であった。
☆幽(死者の世界)を目(ねらい)に勘(考えるのは)寂しい。
句(言葉)は、自由な霊(死者の魂)として吾(わたくし)が蘇り算(見当をつけて)言っている。
逸(隠れた)他意は、吾(わたくし)の辞(言葉)である。
戸外は、まだまっ暗で、吹雪になっているらしかった。こんなあたたかい場所におれるのだから、恩に着て、追いだされないように用心しなくてはならないな。
☆外の深い食(蝕・死の入口)は馬鹿話の騒ぎのように見えた。ここでの出会いに感謝し、追放されないように用心しなければならない。