押されれば(圧力)、すぐ転倒するに違いない頼りない構造である。床にデンと設置されたものでもない。白い丸椅子の上に逆さに設置された車輪、しかし、白い丸椅子の上に設置されたことは無意味ではなく必然であり、この円環の持つ崇高さは台座に掲げられることで意味をもつのである。
崇高と言ったが、すべての物が持つ存在の崇高さである。円環という形態は存在の原初としての拡がりを内包する。つまり自分自身ですらある。
自身への目覚めや発見は、視覚的にも酷似の事物に出会うという現象にあるのかもしれない。もちろん自覚という転換点が必須である。
デュシャンは『自転車の車輪』に自分自身を発見したのではないか。
非生産的であり、関連の絆もないこの円環の孤立。語らずして語る存在の基底。
黒と白、彩色の粉飾もない裸身の立ち姿である。
『自転車の車輪』は世界であり、自身である。
写真は『DUCHAMP』(ジャニス・ミンク) www.taschen.com