『折れた腕の前に』
レディ・メイド:雪かき用シャベル
これが床に伏せてあったのでは意味がないが、天井から吊り下げてあったことで、この雪かきシャベルの前に立つ人が見えてくる。雪かきシャベルと折れた腕の人間が対峙する空間には沈黙が走る、関係性を断たれているからである。
雪かきシャベルが完品であってもそれを使用する人間の方に不備があれば無用の長物でしかない。つまり、雪かきシャベルは能動的ではありえず、つねに受動的であり補佐としての備品にすぎない。
しかし、折れた腕の人間は、雪かきシャベルを前にして自分の不備を認めざるを得ず、少なからず敗北を感じ、打ちのめされてしまう。自分が主体だという誇りを失うのである。
主体と客体の関係。
主体は常に客体の優位にあると思いがちである。認識する対象が主体である人間の方を打ちのめすなんてことがあるだろうか。
『折れた腕の前に』ある雪かきシャベルは主体と客体の関係を喝破している。
写真は『DUCHAMP』(ジャニス・ミンク) www.taschen.comより
すると二人が今来た道の方から空車らしい荷車の音が林などに反響して虚空に響き渡って次第に近づいてくるのが手に取るように聞こえだした。
☆字を認(見分け)勤めることに頼(期待する)。
道(語る)法(神仏の教え)で赦(罪や過ちを許す)。
化(教え導くこと)で赦(罪や過ちを許すこと)が隠れている。
輪(順番に回るもの)を判(区別する)。
教(神仏のおしえ)に拠る句(言葉)がある。
胸(心の中)の図りごとは字で代(入れ替わる)。
襟(心の中)の趣(考え)を修(おさめる)文である。
そして、樽のうえに板をのせて、せめて夜が白むまでそこで眠らせてほしいというKの願いをもかなえてやろうとしているようだった。
☆来世では少なくともモルグ(身元不明者の死体公示所)で死ぬという先祖の障壁は外面上のことにすぎないのだというKの願いをかなえようとしていた。