続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『停止原基の綱目』⑤

2020-03-06 06:58:46 | 美術ノート

〈停止〉である、そこから先はない。
〈原基〉である、かつてそれは厳然と存在していたものである。
〈綱目〉である、分岐があり、発展(時間・経過・分類)があった。
 しかし、初めに《停止ありき》である。すべては否定、打ち消されている。ここから先は《未定》の領域である。

 このタイトルの条件を踏まえて作品を見ると、闘い済んで日が暮れてのような一抹の、というか大きな寂しさが襲う。すべては終わってしまったのだと。

《大いなる否定》である。
 この画(作品)の前にあるのは、対面する自分自身だけであり、未知への静かなる脅迫がある。大きく手を広げたデュシャンが立ちはだかり、終了を告げている。

 ここより先は、あなた自身であり、わたくし(デュシャン)もこの画の外にいる。
『さぁ!』


 写真は『DUCHAMP』より www.taschen.com


『忘れえぬ人々』102.

2020-03-06 06:30:48 | 国木田独歩

これはかねて世界最大の噴火口の旧跡と聞いていたが成程、九重嶺の高原が急に頽ちこんでいて数里にわたる絶壁がこの窪地の西を廻っているのが眼下によおく見える、男体山麓の噴火口は


☆験(調べて)整えると解(わかる)。
 再(かさねて)他意が粉(まぎれこんでいる)。
 化(教え導く)講(話)を、究(つきつめる)。
 析(分けることで、事柄を明らかにする)文である。
 常に態(ありさま)は句(言葉)の自由によって霊(死者の魂)の考えが現れる。
 求める他意の枢(要)は、裏(物事の表面の反対側)の舌(言葉)に闢(ひらける)。
 亜(次)を省((注意して見ると)解かる。
 願いの化(教え導くこと)が現れる。
 談(話)に他意がある。
 算(見当をつけると)録(文字に書き記したもの)に、粉(まぎれこんでいる)講(話)がある。


『城』3371。

2020-03-06 06:22:34 | カフカ覚書

亭主もお内儀も、まだKのまえに立っていた。あいかわらずKには安心できない、こういう油断も隙もない男は、いつなんどき立ちあがって、またぞろ廊下に押しかけるか知れたものではないと言わんばかりであった。


☆主人も女主人もまだKの前に立っていた。何といっても先祖にある種の危険があり、突然開いて、再びそのやり方で迫ってくるかもしれず、完全な保証はなかった。