続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『ボトル・ラック』

2020-03-24 06:59:59 | 美術ノート

   『ボトル・ラック』

 ボトル・ラックのカタログから選んだというボトル・ラック。
 空のボトルの収納である。多分、再利用のために洗浄したボトルの乾燥と他のボトルとの接触を避けるために考案されたレディ・メイドの品だと思う。
 結論から言えば、不衛生である。熱消毒されたものをここに掛けては細菌の汚染を免れないのではないか。ボトルラック自体も殺菌されていれば別であるが…。家庭用であれば50本は多すぎるし、衛生管理は行き届かないと思われる。

 しかし、デュシャンはこの形態を見て他のひらめきを感じたのではないか。用途としては不完全なものが形態には完全な美があると。
《宝塔》である!
 どう眺め尽しても完結の威風堂々とした趣を見逃せない。ボトル・ラックだと思うから(言い過ぎになるかもしれないが)噴飯物にすぎない。

 中途半端なアイデア製品、いずれ不要になり、廃棄の運命をたどると思われる新製品である。
 この物は、しかしデュシャンの心を揺さぶった精神性を秘めている。
《祈り》を彷彿とさせる高揚がある。まさに宝塔であると。
 しかし、あえて『ボトル・ラック』と命名したことで、デュシャンは「物は観念と私的解釈の時空を所有する」と言っている。


 写真は『DUCHAMP』(ジャニス・ミンク) www.taschen.comより


『忘れえぬ人々』113.

2020-03-24 06:42:15 | 国木田独歩

「一村離れて林や畑の間を暫く行くと日はとっぷり暮れて二人の影が明白と地上に印するようになった。


☆逸(隠れた)存(考え)は理(物事の筋道)である倫(人の行うべき道)である。
 将(あるいは)、言(言葉)の竄(文字文章を変える)講(話)である。
 化(教え導く)簿(ノート)は、弐(二つ)を尋(聞き出し)営(こしらえ)、冥(死者の世界)に迫る。
 弐(二つ)の章(文章)が隠れている。

 


『城』3383。

2020-03-24 06:24:43 | カフカ覚書

残念ながら、わたしの疲れきった状態をよく知ってくださったとおもうのは、エルランガーとビュルゲルだけだったでしょう。このおふたりなら、わたしをかばって、それ以上事態が大きくならないようにしてくださったにちがいありません。でも、エルランガーは、城へお帰りになるためでしょうか、すぐに出かけられなくてはなりませんでしたし、ビュルゲルのほうは、たぶん尋問のために疲れはてられたのだとおもいますが


☆残念ながら、事情を知っているのはエルランガーとビュルゲルだけでしょう。すべて広がらないように受け入れたのに違いありません。エルランガーは小舟の審問から離れなければならず、ビュルゲルは明らかに本当の死へと旅立ったのです。正しく審問に疲れはてたのでしょう。