続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『ボトル・ラック』④

2020-03-27 07:05:39 | 美術ノート

 供給・需要ともに『ボトル・ラック』で一致している。しかし、そこに秘かにも異存を感じたであろうデュシャン。
 別の意味を見出し、鑑賞者の前に提示する。主観である。

 主観と客観(誰が見ても一様にみとめられるとする意見)は、同じ時空にあるということの発見である。主観と客観の間に壁はない。
 対象を巡る意見の相違、主観が圧倒的多数であれば客観になり、主観が客観を超えることはない。仮に主観が大衆を動かすとしたらそれは専制であり、自由や解放からは遠い。

 デュシャンは『ボトル・ラック』に他意を感じたからこそ作品として提示し、これはまさに『ボトル・ラック』であると差し出したのだと思う。
 他意(主観)は、自由であり解放である。


 写真は『DUCHAMP』(ジャニス・ミンク) www.taschen.comより


『忘れえぬ人々』116.

2020-03-27 06:44:31 | 国木田独歩

長さよりも幅の方が長い橋にさしかかったから、幸とその欄に倚っかかって疲れきった足を休めながら二人は噴煙のさまの様々に変化するを眺めたり、聞くともなしに村落の人語の遠くに聞こゆるを聞いたりしていた。


☆調べると複(二つ)を包んでいる。
 弔(死者を悼む)胸(心の中)の講(話)である。
 覧(よく見ると)鬼(死者/亡霊)が秘(人に見えないように隠れている)。
 即ち、求める弐(二つ)の腎(かなめ)を分(見分けることである)。
 掩(隠れている)要(かなめ)の様(ようす)は、片(二つに分けたものの一方)だと解(わかる)。
 重なる文が存る。
 絡(すじみち)の腎(かなめ)は、互に縁(関わり合う)文の案(考え)である。


『城』3386。

2020-03-27 06:35:22 | カフカ覚書

 Kがふたつの尋問のことーエルランガーの尋問のことーを話し、お役人たちのことを敬意をこめて語ったので、亭主は、彼に好感をいだいた。


☆双方の迫害者ーひょっとしてエルランガーのことを言及し、他の大勢の人たちも言ったので、主人は彼に合意した。